与謝野寛・晶子の歌


『霧島の歌』

『霧島の歌』(其一)

   磯の島津公爵邸にて。

いにしへの太守の庭に海を見て佇むこころのどかなるかな

砂風呂に潮さしくればかりそめの葭簀の屋根も青海に立つ

我が夢がかなたの沖に形すとしら帆を眺むいぶすきの磯

ほがらかにとりすましたる夜明かな平たき沖をわたる白帆も

あけがたの下大隅の山べより海に下りきて泳ぐしら雲

仏相化あかき房もと額を撫づ夢みよと云ふいざなひのごと

孔雀椰子たかく美くしこの蔭に我れ若くして立つ由もがな

ヒビスカスはた仏相化ゆめならで常世の国を見るここちする

きりしまのしら鳥の山青空を木間に置きてしづくするかな

みづからを憎むが如く打たしむる霧嶋の湯の瀧の下(もと)かな

   廿五日、高千穂小學校長田中莊君の嚮導を得て高千穂の峰
   に登る。峰に到つて雲多し。同行は石塚月亭君父子なり。此
   日晶子は大浪湖に遊べり。

熱き湯を榮之尾(えのを)の溪に朝浴びぬ高千穂に行く清まりのため

霧島の宮に到れば白き雨木綿(ゆふ)のけしきに我が車打つ

天ざかり西にいませば神さびていよよ尊し霧島の宮

肩上のありし日のごと鹿児島の港の石を夏の日に踏む

炎日のもとに再び火となりて人ちかづけず熔岩の島

一瞬に「轟の瀬」をば乗り越えて水けぶりより現はるる船

さかしまに落ちつと見ればほがらかに轟の早瀬わが船すべる

   此夜、市比野温泉に宿る。山本実彦君のみは川内町に帰る。

夜おそく来て朝立てば市比野を語るすべ無し湯の熱き

池田湖を見てとどめたる我がくるま友の車も秋草の中

迫平まで我れを追ひ来て松かげに瓜を裂くなり頴娃の村をさ

なさけある頴娃の村をさ耳遠し敬ふこころ告ぐべくも無し

   二日、朝、旅宿を立ちて、宮里石原二君と指宿の農林試験所
   を見る。

いぶすきの宿の硝子に大海の青きを入れて開くるみじか夜

わが手もて植ゑし二尺の「たぶ」の木も年経て訪へば三丈の幹

見上げつつ夢かぞと思ふをさなくて加治木の寺に植ゑし「たぶ」の木

をさなくて紙鉄砲をつくりたる金竹(きんちく)いまは杖に伐らまし

わが父が加治木に住みし六十ぢにも年ちかづきて加治木には来ぬ

加治木へは来(きた)るにあらず帰るなり父と住みける思出のため

わが父の名を知る人に逢ふことは兄弟(はらから)のごとなつかしきかな

   午後、鹿児島駅に見送の諸君と別れ、山本実彦君と同乗し
   て発す

鹿児島に別れんとする寂しさは故郷を立つ心なるかな

『霧島の歌』(其二)

   七月二十二日の夕鹿兒島に入る。

大君の薩摩の国に龍王の都つづくと見ゆる海かな

さくら嶋わが枕よりやや高く海に置かるる夏の月明

三州の大守の磯の林泉にひぐらしめきて鳴れる水かな

渓川は磯の御館の水門をくぐらんとして白波を上ぐ

渓渓の湯の霧しろしきりしまは星の生るる境ならまし

   西國分

隼人塚夕立はやく御空より馳せくだる日に見るべきものぞ

山川を右ひだりして行きつきぬ栄の尾の坂の湯の滝のもと

牧園へ太皷をどりを見に来よと使きたりぬ瓜を割る時

霜嶋のからくに岳の麓にてわがしたしめる夏の夜の月

霧嶋の栄の尾の前の山の戸はせまれど見ゆる海の月明

山に見てむら薄より平たきは牧園村にひろがれる森

霧嶋の白鳥の山しら雲をつばさとすれど地を捨てぬかな

えび野湯に人たどる路見えずして廣く硫黄の黄のつづき原

坂東の殺生石を見し山におもむきの似る原にこしかな

加治木なる五つの峰の波形の女めくこそあはれなりけれ

裾山にさくら嶋をば加へたる遠方(をちかた)見えて雲なかに置く

   霧嶋神宮を拜す。

うぐひすや妙見の湯の板橋の五間は秋の冷たさにして

山川の上をつたへる霧と逢ひわれは冷たきものにときめく

折橋のくちなし咲ける山莊にあり百歩していでゆに通ふ

霧嶋の神のやしろの長き路月夜と似たり雨こぼれつつ

遠方(をちかた)に今朝わが出でし山ありて長くましろし大前の道

大神の霧嶋の雨木綿(ゆふ)よりも眞白き雲の下すなりけり

御社は淨衣の禰宜のますに足る佛法僧よ天竺に去れ

雨降りて佛法僧の羽のごと墨とみどりを流す山かな

鹿兒嶋へ夕日を追ひて行くやうに車やるなり加治木の峠

   宮の城

川上に都城のあるを疑はず涼しき風に導かれこし

宮の城われより先に深山より雨こしと云ふ一昨日(をととひ)ばかり

とどろの瀬水は若さにをどりつつ時の上をば傳はずて飛ぶ

轟きの瀬は川の火ぞ少年はつぶてとなりて焔(ほのほ)に遊ぶ

   市比野温泉

天の川入來のふもと市比野の糊つけごろも竪き夜にして

闇ひろく續ける中の市比野をさぐりて借れる草枕かな

入來より來る車の灯を見つつ旅人の立つ市比野の橋

水鳴れば谷かと思ひ遠き灯の見ゆれば原と思ふ湯場の夜

山川の濁るはさびし市比野の湯場に設くる橋普請とて

大海の種子嶋より目じるしにして船來てふ八重山くもる

   池田湖

見るところ先づ開聞の高くして斜めに北の低きみづうみ

   迫 平

片はしを迫平に置きて大海の開聞が岳立てるなりけり

   揖宿温泉に宿る。

湯の宿の小松の垣の下(もと)に鳴る船の笛かな揖宿の海

しら波の下に熱沙の隱さるる不思議に逢へり揖宿に來て

大隅の山山たちて半月の形にかこむいぶすきの海

來て立つや沙の身すらも極熱のおもひを持てる揖宿の磯

佛相華垂れて花咲く温室は海を越えねど嶋ごこちする

花の房南薩摩の温室に垂るる限りはくれなゐにして

一もとの扇の椰子の上にある南の國の夏のしら雲

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