2025年鹿児島
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日本の原風景〜一茶の句によせて〜

青梅に


青梅に手をかけて寝る蛙かな

出典は『寛政三年紀行』。寛政3年(1981年)の句。

一茶は數多くの蛙の句を作っています。一茶にとって、蛙は「いとけなき生命」の象徴なのかもしれません。

影法師


影法師我にとなりし蛙かな

出典は『文化句帖』。文化4年(1807年)2月17日の句。

一茶はもっぱら「蛙」をその鳴き声から、人を圧倒するたくましい生き物と受け取っていたようです。「影法師」は一茶の分身です。作品からは「蛙とはなかなかエライもんだな。」と言う一茶のつぶやきが聞こえてきそうです。

なの花の


なの花のとっぱずれ也ふじの山

出典は『七番日記』。文化9年(1812年)2月の句。

菜の花畑の高さに目線を合わせてみると、ずっとあちらまで黄色一色に咲きみだれた、菜の花のはるか向こうのとっぱずれに、富士の山がにょっきりとそびえ立っているのが見えるでしょう。

菜の花畑を中心に据え、どこまでも広がる広い大地と雄大な富士山との鮮やかな対比が見事な一句です。

御地蔵の


御地蔵の手に据え給う蛙かな

出典は『七番日記』。文化12年(1815年)2月の句。

一茶は蛙の句を総計217句、詠んでいます。江戸時代では蛙と人間は当たり前に共生してようです。一茶の句には、いろんなシーンに蛙が出てきます。お地蔵様なりかわり願いを聞いてやるぞと言っているのか、貧しくてお供えにするものが無く、いたずらに蛙をお地蔵様の手にのせたのか、作品の蛙には、何やら主張があるように見えてきます。

猫の子が


猫の子がちょいと押さえるおち葉哉

出典は『七番日記』。文化12年(1815年)10月の句。

庭先に落ち葉が吹き寄せられてきます。猫の子がその落ち葉めがけて跳んで走り出て、「ちょいと押さえて」また放し、また落ち葉が動くと押さえて遊んでいる光景です。遊んでいるのは「猫の子」だけでなく「落ち葉」も遊んでいるようなまるで短編のフィルムを見ているような洒落た句です。

立臼に


立臼に子を安置して盆の月

出典は『七番日記』。文政元年(1818年)7月の句。

長野にある善光寺の本尊は、最初は立臼(餅などをつく臼)に安置されたという伝説をふまえた一句です。立臼に本多善光が、如来像を据えてお祀りしたというものです。盆の月は先祖や亡くした子どもらを供養する月です。

彼岸にいるに違いないと、亡き子を如来さまのように安置する、という親心を感じる一句です。

這へ笑へ


這へ笑へ二ツになるぞけさからは

出典は『おらが春』。文政2年(1819年)の句。

56歳の一茶に初めての娘さとが誕生し、それを祝い、娘を持った一茶自身の喜びを祝しているのです。この前の句が有名な「目出度さもちゅうぐらいなりおらが春」です。さほどめでたくもなし、などと言いながらも、しかし可愛い娘ができたのだ、喜ばしいではないかと振り返ったのでしょうか。

初瓜を


初瓜をひっとらまえて寝る子かな

出典は『八番日記』 。文政2年(1819年)の句。

収穫した初物の瓜を初めて見て、そのつるつるとした瓜の肌触りに夢中になり戯れていた幼子が、遊び疲れて縁側で眠ってしまいました。大きな瓜をたくさん捕まえて、得意顔になっている夢を見ているのかもしれません。

すずめの子


すずめの子そこのけそこのけお馬が通る

出典は 『八番日記』 。文政2年(1819年)の句。

一茶の生きた江戸文化文政の頃は、参勤交代の大名が、しばしば江戸と領地を行き来していました。その行列に出会った町民は、道の両端にひれ伏して見送らなければなりません。武士は町民や農民に対して、「そこのけそこのけ!」と、雀の子以下の扱いです。

一茶の怒りの句ですが、この作品では、玩具の木馬に乗った童が、雀の子たちと遊ぶ可愛らしい姿にその意を託しています。

別館へ。

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