花桐や 雲を重ねて 南部領 |
啄木の歌は中津川河畔の詩歌の散歩道にも歌碑がある。 昭和2年(1927年)2月20日、父石川一禎は神戸鉄道局高知出張所の所長官舎で76歳の生涯を閉じた。 平成5年(1993年)12月、「国民文化祭いわて'93」のモニュメントとして建立されたそうだ。 |
わたしはここにいる 宮静枝 わたしはここにいる 笑うものはすべて失い 截る者を切に耐え 来ぬ者を待ち続け さりげなくうたい 白いひとすじを下る 人はわたしを川と呼んだ 旅をここまで来た 静かな日だまりだから 過ぎこしは指折らず あの日より少し悲しく みちのくの 城下町の川のほとり わたしはここにいる |
1910年5月27日、岩手県江刺市に生まれる。10代より文芸の道に志す。著書多数。詩集「山荘−光太郎残影」は第33回晩翠賞を受賞。詩壇のみならず、生活者として各方面に活躍する。碑文は戦死者を悼み、なおその帰還を待ち続ける愛の詩であり、いくさの抑止を世に訴えつぢける祈りの詩である。 慕う者相集いて、2003年6月1日建立する。 |
泰然と 媚は 売らない 山である 岳豊 |
この川柳碑は、川柳はつかり吟社40周年を記念し、川柳を通じ、県内の文化芸術振興に寄与することを目的として建立された。句及び揮毫は川柳はつかり吟社主幹藤沢岳豊氏。(本名誠 1923年3月25日生) 建立に当っては盛岡市及び岩手県議会川柳会の協力を得、併せて300余名の協賛があった。 |