2021年岩 手

石川父子の歌碑〜御厩橋〜
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金田一京助ゆかりの地(下橋中学校)から御厩橋へ。

途中に小原啄葉の句碑があった。


 花桐や
雲を重ねて
   南部領

御厩橋の袂に「石川父子の歌碑」がある。

中津川や      
   
中津川      
 月に河鹿の啼く夜なり
   
 流れ落合ふ北上の
涼風追ひぬ夢見る人と
   
早瀬を渡る夕霞かな
       啄木
   
      一禎

 啄木の歌は中津川河畔の詩歌の散歩道にも歌碑がある。

 昭和2年(1927年)2月20日、父石川一禎は神戸鉄道局高知出張所の所長官舎で76歳の生涯を閉じた。

 平成5年(1993年)12月、「国民文化祭いわて'93」のモニュメントとして建立されたそうだ。

宮静枝の詩碑


 わたしはここにいる
      宮静枝
わたしはここにいる
笑うものはすべて失い
截る者を切に耐え
来ぬ者を待ち続け
さりげなくうたい
白いひとすじを下る
人はわたしを川と呼んだ

 旅をここまで来た
 静かな日だまりだから
 過ぎこしは指折らず
 あの日より少し悲しく
 みちのくの
 城下町の川のほとり
 わたしはここにいる

碑 陰

1910年5月27日、岩手県江刺市に生まれる。10代より文芸の道に志す。著書多数。詩集「山荘−光太郎残影」は第33回晩翠賞を受賞。詩壇のみならず、生活者として各方面に活躍する。碑文は戦死者を悼み、なおその帰還を待ち続ける愛の詩であり、いくさの抑止を世に訴えつぢける祈りの詩である。

慕う者相集いて、2003年6月1日建立する。

2006年12月25日、死去。

川柳碑


泰然と
 媚は
 売らない
 山である
   岳豊

2001年9月23日、建立。

碑 陰

 この川柳碑は、川柳はつかり吟社40周年を記念し、川柳を通じ、県内の文化芸術振興に寄与することを目的として建立された。句及び揮毫は川柳はつかり吟社主幹藤沢岳豊氏。(本名誠 1923年3月25日生)

 建立に当っては盛岡市及び岩手県議会川柳会の協力を得、併せて300余名の協賛があった。

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