2023年兵 庫

東遊園地〜木内 克〜
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神戸市中央区加納町に東遊園地がある。

シオン


昭和56年(1981年)、設置。舟越保武制作。

工事の柵があって、正面から撮れなかった。

加納町の由来


 居留地の東端、現在のフラワーロードを流れていた旧生田川は、豪雨のたびに氾らんし、居留地の外国人から苦情が絶えませんでした。そこで明治4年(西暦1871年)6月、生田川付替工事が行われ、誕生したのが現在の生田川です。

 今度のフラワーロード整備では、小川の流れを取入れ、旧生田川をしのぶことができます。

 加納宗七は、紀州の酒造り、廻船業の家に生まれ、神戸で材木・廻漕を開業していましたが、この生田川付替工事を中心となって請負うとともに、跡地である旧生田川敷も整地して新しい町づくりを進めました。神戸の中心に「加納町」の名が残っているのは、その業績を讃えたものです。なお同郷の先輩、陸奥宗光と親交があり、このモニュメントに刻まれている加納宗七の字も宗七宛の陸奥の手紙が原典です。また、小川の流れの橋詰に建っている加納橋と彫られた石づくりの欄干は、架橋位置は不詳ですが、風雪に風化した石の表に歳月の流れを感じさせます。

 このモニュメントの建立にあたって、加納氏の遺族始め、多くの方がたの協賛を得たことを付記します。

神戸市

加納宗七像


昭和56年(1981年)、設置。福田青陽制作。

昭和55年(1980年)2月13日、本郷新没。

老 人


昭和57年(1982年)、設置。本郷新制作。

ふれあいの滝


   




 昭和56年(1981年)3月3日、神戸市婦人団体協議会創立30周年を記念して設置。

人と人・日本人と外国人・男と女・人ともの、人と自然など私たちのくらっしの中にある限りない「ふれあい」を大切にしたいと願っております。

緑 新谷澤子
愛 新谷e紀
空 新谷英子
海 新谷英夫

虹の石


昭和56年(1981年)、設置。福田青陽制作。



虹の足とは
不確かに美しき
比奈夫
港の空に書きしが映る
諷詠会

昭和7年(1932年)、久保浩(こう)は神戸市で生まれる。

昭和35年(1960年)、朝倉文夫に師事。

海の栄え


昭和56年(1981年)、設置。久保浩制作。

右側面


愛「仔馬の像」


昭和41年(1964年)、設置。柳原義達制作。

右側面


W・Jモラエス翁像


昭和39年(1966年)、設置。長谷川雅司制作。

日本近代洋服発祥の地記念彫刻


昭和49年(1974年)、設置。環境造形Q制作。

この大きな石は、神戸洋服商工業協同組合が、明治5年の洋服着用太政官発令100年を記念し、この東遊園地に、現代彫刻を設置することを計画して、彫刻グループ環境造形Q(山口牧生, 増田正和, 小林陸一郎)に制作を依頼したものです。素材の石は岡山県北木島より運びました。彫刻は洋服の身頃と袖を象形化したものです。

1776年12月5日、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト没。

MOZART


平成3年(1991年)11月2日、没後200年を記念して建設。

昭和12年(1937年)7月、新谷e紀(ゆうき)は兵庫県神戸市に生まれる。

MARINA


昭和51年(1976年)、設置。新谷e紀制作。

阪神大震災の記憶
平成7年1月17日午前5時46分

阪神淡路大震災により、このマリーナ像は倒れ、その際時計は壊れました。
震災の記憶を永遠にとどめるために、この時計は、その時を示しています。

大正3年(1914年)、木内克朝倉文夫の彫塑塾に入門。

エ−ゲ海に捧ぐ


昭和48年(1973年)、設置。木内克制作。

昭和52年(1977年)、木内克は84歳で死去。

後ろから撮ってみた。


神戸市役所へ。

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