居留地の東端、現在のフラワーロードを流れていた旧生田川は、豪雨のたびに氾らんし、居留地の外国人から苦情が絶えませんでした。そこで明治4年(西暦1871年)6月、生田川付替工事が行われ、誕生したのが現在の生田川です。 今度のフラワーロード整備では、小川の流れを取入れ、旧生田川をしのぶことができます。 加納宗七は、紀州の酒造り、廻船業の家に生まれ、神戸で材木・廻漕を開業していましたが、この生田川付替工事を中心となって請負うとともに、跡地である旧生田川敷も整地して新しい町づくりを進めました。神戸の中心に「加納町」の名が残っているのは、その業績を讃えたものです。なお同郷の先輩、陸奥宗光と親交があり、このモニュメントに刻まれている加納宗七の字も宗七宛の陸奥の手紙が原典です。また、小川の流れの橋詰に建っている加納橋と彫られた石づくりの欄干は、架橋位置は不詳ですが、風雪に風化した石の表に歳月の流れを感じさせます。 このモニュメントの建立にあたって、加納氏の遺族始め、多くの方がたの協賛を得たことを付記します。
神戸市 |
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昭和56年(1981年)3月3日、神戸市婦人団体協議会創立30周年を記念して設置。 |
人と人・日本人と外国人・男と女・人ともの、人と自然など私たちのくらっしの中にある限りない「ふれあい」を大切にしたいと願っております。 |
緑 新谷澤子 愛 新谷e紀 空 新谷英子 海 新谷英夫 |
虹の足とは 不確かに美しき
比奈夫
港の空に書きしが映る
諷詠会 |
昭和7年(1932年)、久保浩(こう)は神戸市で生まれる。 昭和35年(1960年)、朝倉文夫に師事。 |
この大きな石は、神戸洋服商工業協同組合が、明治5年の洋服着用太政官発令100年を記念し、この東遊園地に、現代彫刻を設置することを計画して、彫刻グループ環境造形Q(山口牧生, 増田正和, 小林陸一郎)に制作を依頼したものです。素材の石は岡山県北木島より運びました。彫刻は洋服の身頃と袖を象形化したものです。 |