『奥の細道』東 北


〜岩手の里〜

 琵琶の沢温泉から国道47号(北羽前街道)を行くと、芭蕉が3日間逗留した「封人の家」がある。


中山峠を越えると、宮城県。尿前の関跡がある。

鳴子温泉を過ぎると、小黒崎観光センターがある。

芭蕉像が雨に濡れていた。


鳴子町から岩出山町に入る。


岩出山町(HP)は芭蕉一宿の地。


 芭蕉で町興しをしているのだから、芭蕉の遺跡は整備されているのだろう。町役場に行って聞いてみた。町役場では感動するほど親切に教えてくれた。

おくのほそ道と岩出山

 元禄2年(1689年)5月14日(陽暦6月30日)、一関を旅立って南下した芭蕉は、その日ここ岩出山に投宿し「おくのほそ道」に「南部道はるかにみやりて、岩手の里に泊る。」と書き残しています。

入口半道程前ヨリ右ヘ切レ、一ツ栗(一栗)ト云村ニ至ル。小黒崎可見トノ義也。遠キ所也(二リ余)。故、川ニ添廻テ及暮。岩手山ニ宿ス。『曽良随行日記』

 その日のうちに小黒ヶ崎美豆の小島を見ようと足を進めましたが、2里(約8km)も先であるため、岩出山に戻り投宿し、翌15日に訪れたことがわかります。

 なお、芭蕉が投宿したのは石崎屋という旅籠で、現在の岩出山交番付近にあったといわれています。

河東碧梧桐は「岩手の里」を「岩井の里」の誤りであろうとしている。

 これによると小黒崎みつの小島など皆陸前の名所で、鳴子の湯もその玉造郡の出羽に近い処であるから、芭蕉は奥の細道を平泉に止めて、一旦南下したことがわかる。

 然るにここに「岩手の里」とあるのが不審で、平泉以南に岩手の里という処はない。地理上から案ずると、どうしても今の一の関でなければならぬ。一の関はまた磐井ともいう。これは大方「岩井の里」の誤りであろうと思う。

『三千里』(十二月五日)

河東碧梧桐の誤りである。

大正11年(1922年)12月2日、大町桂月は岩出山を訪れている。

 東北線の小牛田駅より陸羽線に取り、一時間にして、岩出山駅に達す。岩出山は山の名に非ずして、市街の名也。岩手山と混同すべからず。伊達政宗は米沢より出でて、この地に移り、後に仙台に移れる也。池月駅と川渡駅との中央あたり、右に近く小黒崎山あり。紅葉の勝地也。なほ進んで陸羽の界に至れば、紅葉の美、世に優れたり。

「鳴子温泉」

商店街のポケットパークにある芭蕉像。


芭蕉像の隣に岩出山交番がある。岩出山交番の隣が「芭蕉一宿の地」らしい。

 この時芭蕉が通ったと思われる古道が「国指定史跡陸奥上街道」として整備され、いにしえを偲ぶことができます。

 元禄9年(1696年)、天野桃隣は磐提山(いわでやま)を訪れて、句を詠んでいる。

 是より岩手へかゝる。磐提山、則城下の名也。いはでの関此所なり。

   為家の山梔(くちなし)白し磐提山


県道17号栗駒岩出山線が「陸奥上街道」らしい。

岩出山町から千本松長根へ。

 平成18年(2006年)3月31日、岩出山町は古川市、三本木町、松山町、田尻町、鹿島台町、鳴子町と合併して大崎市になった。

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