『奥の細道』 〜東北〜

〜尿前の関跡〜
国道47号(北羽前街道)で鳴子温泉を過ぎる。
尿前の関跡がある。

元禄2年(1689年)5月15日(陽暦7月1日)、芭蕉と曽良は尿前の関を越え、出羽の国に入った。
関所の跡らしく、柵が作られていた。
元禄9年(1696年)、天野桃隣は尿前の関を通っている。
川向ニ尿前と云村アリ。則しとまへの関とて、きびしく守ル。
義経が平泉に落ちる時、義経の奥方が亀若丸を生む。弁慶がここはまだ敵地だから、産声を上げないようにといったため、亀若丸は泣かなかった。尿前の関の所で、亀若丸は初めて小便をした。それで「尿前」と呼ぶようになったという。
姥の湯で産湯を使い、亀若丸は初めて産声をあげたので鳴き子と称した。これが今の鳴子温泉の地名のおこりだそうだ。
昭和2年(1927年)10月、小杉未醒は「奥の細道」を歩いて、尿前の関を訪れている。
鳴子の温泉は、今は繁盛ながら、案内記を見ても遂近年の發展、芭蕉翁の頃はほんに微かな山の湯であつたらう、尿前の關の跡は今も在つて、温泉から半里ほど、大谷と荒尾の二溪合流の處、山ふところの陰氣な小村、關守の遊佐氏は昔からの家柄、今は落魄したと云ふ、
元禄の芭蕉おきなもここ越えて旅のおもひをとことはにせり
歌集『石泉』(鳴子途上)
昭和39年(1964年)、水原秋桜子は尿前の関を訪れている。
「尿前の関跡」に芭蕉の句碑がある。
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