元禄2年(1689年)5月10日(新暦6月26日)、石巻を訪れ源太左衛門のはからいで新田町の「四兵へ」なる人に宿を借りる。雨も止み日和山に登った。 |
日和山と云ヘ上ル。石ノ巻中不レ残見ゆル。奥ノ海(今ワタノハト云う)・遠嶋(としま)・尾駮(おぶち)ノ牧山眼前也。真野萱原も少見ゆル。帰ニ住吉ノ社参詣。袖ノ渡リ、鳥居ノ前也。
『曽良随行日記』 |
「新田町四兵へ」宅は千石町(旧新田町)の現「石巻グランドホテル」の地にあったそうだ。 |
十二日、平泉と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞伝て、人跡稀に雉兎蒭蕘の往かふ道そこともわかず、終に路ふみたがへて、石の巻といふ湊に出。「こがね花咲」とよみて奉たる金花山、海上に見わたし、数百の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、竈の煙立つヾけたり。 |
天皇(すめろき)の御代栄むと東(あづま)なる陸奥山に金(くがね)花咲く
『万葉集』(巻第十八) |
奥に春を迎へし歳 はつ空や松に輝く金華山 |
元禄9年(1696年)、天野桃隣は石巻を訪れ、句を詠んでいる。 |
行々て石の巻、仙台領也。諸国の廻船を請て大湊、人家富たり。石の巻といへる事、川の州に立石有、行水巴に成て是を巻く。昔より今に替らず、されば石の巻とはいひ(ふ)める。所は辺土ながら詩歌・連俳の達人籠れり。 ○茂る藤やいかさま深き石の巻 |
延享3年(1746年)4月1日、望月宋屋は「奥の細道」を辿る旅の途中、石巻で衣更え。 |
石の巻にて四朔にあふ。 人並に旅馴衣更てけり |
明和6年(1769年)4月、蝶羅は石巻を訪れ句を詠んでいる。 |
石の巻といふ湊にて |
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舟板にかたつぶりさへ石の巻 | 蝶羅 |
明治39年(1906年)11月16日、河東碧梧桐は松島から歩いて石巻を訪れている。 |
昼前松島を発して、徒歩七里余。日暮れて石の巻に着く。登米(とよま)の桜塊子我を迎え、東京の鉄露仙台から我を追うて来た。 |
昭和2年(1927年)10月、小杉未醒は「奥の細道」を歩いて、日和山を訪れている。 |
日和山は北上川の岸に長く延びて立つ丘陵、上には石の巻神社愛宕社、松古りて静かなる眺め、 |