2020年広 島

宮 島〜五重塔〜
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広島空港からリムジンバスで広島駅へ。

広島駅からJR山陽本線で宮島口駅へ。

JR西日本宮島フェリーで宮島口桟橋へ。

毛利元就ゆかりの地厳島合戦跡

 天文20年(1551年)、中国・九州地方に権勢を誇っていた大内義隆は、その家臣陶晴賢の突然の謀反により滅亡した。義隆と盟友関係にあった、毛利元就は天文22年(1553年)、晴賢に対し挙兵したが、戦力的に陶軍の方がはるかに優勢であったため、奇襲の一計を案じた。

 平地での戦いを不利と見た元就は、厳島に戦場を求め弘治元年(1555年)5月、島の宮尾に城を築き、陶の2万余の大軍をおびき寄せた。

 同年9月30日、元就は3,500の兵とともに、折からの暴風雨と夜陰に乗じ、厳島神社の背後にある包ヶ浦に上陸、翌10月1日早朝、山を越え塔の岡にある陶軍の本陣を急襲した。これに加え大鳥居側の海から元就の三男、小早川隆景の軍と宮尾城の兵が呼応し、厳島神社周辺で大激戦となり、不意をつかれた陶軍は壊滅した。晴賢はわずかな兵とともに島の西部へ敗走するが、なすすべもなく山中で自刃した。これが世に言う厳島合戦である。

 この合戦に勝利した元就は、戦いで荒れた厳島神社の再建・修復に務め、中国地方統一の第一歩を踏み出したのである。

日本三景碑


安藝嚴嶋陸奥松島
後天橋立三處爲奇觀

寛永20年(1603年)、日本國事跡考 林春斎

大鳥居は保存修理工事中。

豊国神社五重塔


みやじまの宿岩惣」に泊まる。

朝の五重塔


朝の大鳥居


すっかり潮が引いていた。

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