俳 人
大島対山
江戸の人。天明7年(1787年)生まれ。本姓は大畠。
四世雪中庵大島完来の門人。のち養子となり、雪中庵五世を嗣いだ。
うらやまし浮世の北の山櫻
| 芭蕉翁
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海はれて動かぬ星や秋の空
| 完來
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文政2年(1819年)8月25日、半場里丸は雪中庵で興行。
文政二己卯八月廿五日
| 於雪中庵興行興行
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秋風の秋風を追ふ野中哉
| 対山興行
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雁呼雁の落る有明
| 里丸
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文政4年(1821年)、大島対山は二俣村の米山石龍を訪れている。
文政5年(1822年)2月、完来の句碑を建立。五世雪中庵対山書。
花のやよひ一日はなのなくもかな
天保10年(1839年)8月、鉄舟寺三十二世法印行超房傳明は芭蕉の句碑を建立。
雲霧の暫時百景を尽しけり
碑の裏に雪中菴對山の句が刻まれている。
夕月の出て隙とるや船の中
伊東市の物見塚公園に芭蕉の句碑がある。
けふばかり人もとしよれ初しぐれ
天保14年(1843年)2月11日、57歳で没。
対山の句
雨の中に汐家の見へてほとゝぎす
今年にもきのふが出来ぬ松の内
花塩のはりま路とこそ郭公
夜の明て日暮て秋のすみだ川
晴てけり虎が雨ぞと人いへば
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