俳 書

『桃の実』(兀峰編)


桜井兀峯は通称武右衛門。備前岡山藩士。江戸勤番中に『桃の実』を編集。

元禄6年(1693年)5月、井筒屋庄兵衛『桃の実』刊。

享保7年(1722年)6月27日、兀峯は61歳で没。

      富花月

   艸庵に桃櫻あり
   門人にキ角・嵐雪有

両の手に桃とさくらや草の庵
   芭蕉翁

菓子盆に芥子人形や桃の花
   其角

桃の日や蟹は美人に笑るゝ
   嵐雪

かゝる翁の句にあへるは、人々のほまれならずや。おもふに素人の句は、青からんものをと人やいふらん。思ふらん。

しろしとも青しともいへひしの餅
   兀峯

 春

つぶつぶと梅咲かゝる霞哉
   尚白

   梅雪亭にて

躑躅咲うしろや闇き石燈籠
   桃隣

鶯や下駄の齒につく小田の土
   凡兆

冷酒にのみつく比かもゝの花
   曲水

   淺間嶽にて

永き日に遠近人とならふよや
   兀峯

   須磨寺の花の制札に、一枝を切と
   らば一指を切べしと、義經の戯れ
   られし情を感じて

當代(イマノヨ)も指切事や花ごゝろ
   兀峯

世の花は五年以前の女とは
   其角

此句をおもふに、玉ふちの笠きたるは、今の世に乞食女ならではなし。然ば小町が世にふる様もさこそ、かはりておもふなんと、晋子がおもひ付たるなるべし。五もじに世の花と置きたるは、花實のそなはりたるにや。此句、人上渡世、天道地變にも、かゝれる名句ならんと、世こぞつていひ侍りぬ。なまじゐに註しては花實をそこなふたぐひなるべし。

菜の花や小屋より出る渡し守
   史邦

 夏

柚のはなや庭へ下たるついで有
   彫棠

   餞 別

帷子を洗はずにやるなごり哉
   正秀

頓て死ぬけしきに見えず蝉の聲
   翁

此句、人上渡世、天道地變にも、かゝれる名句ならんと、世こぞつていひ侍りぬ。なまじゐに註しては花實をそこなふたぐひなるべし。

綿のはなたまたま蘭に似たる哉
   素堂

例の素堂の感情、蘭よ蘭よとの風雅にこそ

 秋

名月や門へさしくる潮頭
   翁

名月や縁とりまはす秬(きび)のから
   去來

   木曽塚にふして

木曽殿と背(せなか)あはする夜寒哉
   又玄

夜が身に秋風寒し親ふたり
   鬼貫

 冬

   万句興行

見しりあふ人のやどりの時雨哉
   荷兮

口切やのしめの裏の貧乏さ
   洒堂

   芭蕉庵

花鳥や見出せし冬の有所
   兀峯

陰惜き師走の菊の齡哉
   露沾

○尾陽の荷兮を、此ごろ世に凩の荷兮といへるは、木がらしに二日の月の吹きちるか、といへる句よりいふ事なるべし。二日の月のぬしになりたる故にや。歌・連歌に物かはの藏人、日比の正廣、あくたれの兼与などいへるたぐひなるべし。

水鳥よ汝は誰を恐るゝぞ
   兀峯

白頭更に芦靜也
   翁

中汲の醉も仄に靜提て
   洒堂

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