俳 人

六花庵官鼠
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本名、大村定八。江戸の人。父は三津村出身。伊豆に住む。六花庵乙児門。

可都里『名録帖』に「官鼠沼津 六花庵」とある。

 明和9年(1772年)4月5日、乙児は49歳で没。官鼠は六花庵を継承。

 安永7年(1778年)10月12日 、静岡県三島市の蓮馨寺に「芭蕉老翁墓」建立。



 天明元年(1781年)、「松島一見のため」旅立ち、大島蓼太を訪れる。

 天明2年(1782年)、仙台を訪れて陸奥国分寺に「艸鞋塚」建立。



あやめ草足に結ん草鞋の緒

裏面には官鼠自身の句が「暮れかねて鴉啼くなり冬木立」と彫られている。

天明2年(1782年)、雄島(御島)に官鼠の句碑を建立。


松嶋や茸狩舟の真帆片帆

鶴とびてむれるや雪の千松しま

 天明8年(1788年)4月21日、蝶夢は六花庵を訪ね、泊まっている。

駿河国沼津は水野の城下、乙児六花庵なる官祖主を訪ふ。こゝにとゞめられて泊る。


 寛政12年(1800年)10月12日、山梨県都留市の円通院に芭蕉の句碑を建立。



旅人と我名よはれんはつ時雨

 寛政12年(1800年)11月9日、大江丸は江戸を立ち、12日は沼津に泊る。官鼠は宿に大江丸を訪ねた。

 さむからぬそでといふをちからに、あとふりかへらずかごを早め、其日は戸づかさゝやにとまり、はこね山も日より能、十二日ぬまづにとまる。六花老人やどへたづね来りて、

   大江の叟のたび中を訪ひて、

あたまつ白し不二見て相ごたつ
   官鼠

 しも雪氷としをくらべて
   丸


『諸国翁墳記』に「旅寝塚 駿州沼津釋迦堂在 六花菴官鼠建」とある。

釋迦堂の句碑は消滅したようだ。

享和3年(1803年)6月1日、71歳で没。

辞世の句

果は我枕なるべし夏の富士

石巻市の住吉公園に官鼠の句碑がある。



   相模女の和歌をよみて懐古郷

涼しさも心の柚のわたり哉

雪の峯富士に似る日そ夏寒き

官鼠の句

帶はまた解ぬ戀なり郭公


葮きりやいつの嵐の捨碇


人間の夜ハまた寒し梅のはな


老はかり鎖せる御代や冬籠


はるかせや雲ほし気にそ裸不二


茄子畑に人こそミゆれ九月尽


雪空や決して黒き物ふらん


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