大伴大江丸

『あがたの三月よつき』


 寛政12年(1800年)7月、大江丸が大坂を出発して東海道を江戸に出て、陸奥・常陸を遊歴し、信濃を経て帰国した時の紀行。81歳の時である。

 名にしおふ大江の翁、ことしやそまりひとつと聞ふ(ゆ)るが、むさしのゝ月むと文月のはじめたびだち玉はむとのさた有しか、いづくの人々もかゝる長寿のしかもすくよかなるをうらやまざるはあらじ、いのちなりけりさやの中山と世にもめでたくおぼえて、

月のたび千ぐさのにしきふしだき

   供なる人に申

とまりとまり大事にかけよきくの鉢
   吾萍

いと情深くおぼえ侍れば、かずかずのものゝ中よりひとつこゝにかくを序とす。

 ことし寛政十弐年庚申の秋、我業(なりはひ)につき、まからで済がたき趣有、東都にたび立せむとす。早八十一才の老の身にして、いらぬ事よと人もいさめ侍れど、のがれがたき事の有といひ、このわざにてやすらかにくらしぬるめうがなればと心をさだめ、かのもろこしの伏波将軍わがくにの三浦の介がきめ足のいさをしも有しものをと、其支度に及ぶ。したしきかぎり道の調度にしかるべきもの、風流の暇別、こゝろごゝろにおくり玉へり。

      東都に趣くとてひそかに思ふ

   花あふぎいまだ捨てくれまいし 

うちずしたれば一炊庵の、

  巫山の秋よ君が投算(なげさん)
   泊帆

にし東月に心やかよふらん
   不二

 かくもてはやされしをみちのちから艸として七月廿日の夜よどぶねにうちのり、猶たびの用意、又業につけて諸事の有れ、京都に三日逗留し、同廿四日東都にたび立す。みちの賄ひには、とし頃の心しりたる勘介といへる男、かご・鋏ばこはねものがたりの長助、関がらの文治郎、かめ山の万助、かれ是五人其夜はいしべのさゝやにとまる。あるじかねて我好る道をしりて侍れ、一軸をもて出、讃せよといふに、極さいしきの関羽なりしを、

   其髯で御まへも花のせきやぶり 

たびの心をなぐさめたり。将かねて約せし七杉堂のぬしの、松風塚の手向おもひいでゝこゝより消息して申遣

   菊に出て松風めでし神やこれ

伊丹祇薗(園)の社へ奉納の句、竹瓦楼より勧進せられしをもしたゝむ。

   酒がめにうつれむかしの神の秋

 すゞか山雨ふり、あした晴、廿七(五)日くはなの舟、たつたの宮に泊る。こゝにすが浦ののむら氏が子徳三郎とて十四才なるものゝ絵をかくに、尤自然の才ありしがいでゝ、

      月にかハふ(ほ)りの画

   月ばかり志賀の都ハあれにしを

其外かずかず有しかどもらしつ。廿六日あつたをいでゝ笠でらのあたりより雨しきりにふりいでゝ、神さへいとふ(う)なりはためき、遠からぬさとへ落たりなど、人さハ(わ)ぎぬ。からふ(う)じて藤川の宿にやどり、明れど雨ふりつゞきみちやすらかならぬに、しのぎしのぎて吉田の駅の花や石羊にやどりしか木朶をはじめ古帆・桐茂など七八人入つどひ無事を寿(ことほ)ぐ。

      こなたにまでト、あなたのかたにもと、吉田
      の人々に、

訪よらむまねくらんもの花すゝき
   大江丸

 かげも凉しき雨ハれの月
   石羊

ひやうし木もきぬたの中にこだまして
   木朶

 つい直段(ね)のなりしうしのうりかひ
   兎堂

こぼしてならぬ徳利の満願寺
   古帆

 湯女の情にいとゞみじか夜
   雪莚

榊葉にちぎりをこめしから衣
   草竜

 水上清ききしの石飛
   桐茂

      右八章

哥仙あれどもこゝには略す。たんだひ(い)

   いなづまに正月ふれる声すなり

   おさな子に問尽さるゝ花野哉

 あらゐの駅にて下野のあしのゝ珠阿といへるてらの僧、みちのべの柳の句をあつめ勧進せらるゝに、

   ちる柳しばしとゞめよ秋のづ 

いふ句を託したり。夫より遠江の伊達のかた吉川為蔵、かれは世にいふ十才童方救が事也。こゝは佐野郡にして塩井の八まんの近くなり。大須がの鬼卵もこゝにいほりをならべたり。方救がおやも来り。せがれに一句寿(ことほげ)と有しに、

   百で来て君二十九の屠蘇汲む



 いそぎいそぎて下るほどに、品川観音前にいづれ店より田むら儀兵衛、せのかしら治兵衛・市兵衛抔とくよりまち受、みちの無事を祝し、酒くかたるうち、別家のものゝ女ぼ(ば)う五人、わらぢ掛にてみち迎にとて参れり。暫しかたりて日やたけなむとたちいづる。かごのうちへかほさしいだして御下りめでたしといふ人はたそ。雪中完来・牛(午)心・雨什など、先ほどより御まち申たりとかたへにやすらひ、頓ほ句承りたしと申さるゝに、

ゆめかとぞふたゝびむすぶ袖が浦
   大江

我に正しく父在(おは)す秋
   雪中

月のしもつめたき熟柿火にあてゝ
   牛心
   (午)
平花も筆をとりて、

大木戸の雨に秋なしたび迎
   雨什

八年ぶりに八山の月
   大江

完来の曰、あす名月のすりもの催ふ(ほ)し有、江戸の月といふを一句と望まる、

   いのち也けり作用に候江戸の月 

したゝめ出し、八日の日ぐれがた店につき、旅の心を休たり。



扨おくの国の用事もさむ空に成てはあしからめと、八月十五日雨ふりたれど、江戸をたちて其夜千住の宿にとまる。川原町の秋香庵をたづね侍れ、名月のあそびする幸の折とて、路川ぬしがいを(ほ)りへ伴ひ、庵主筆をとり大なる幕を画き、めいめい良夜のほ句を書、ひとびと一様に叶の字の手ぬぐひをかぶり秋香巣兆大盃をかたむけて曰、

まかりいでゝひな助江戸の月見哉
   巣兆

 夫々といふほどこそあれ、せいろうそば切山の如く席もせましとつあげしか

御出やつた月のかほせ手打そば
   大江

 かく興じてあそぶ。やゝ五更のかねうつ比より空れ月快くさしのぼれるに、

まろ(ら)(う)人も見玉へ月のすだ川
   兆

 雲のあやせの秋はいづこに
   丸

琴にうつ桐よとこゝにむし鳴れ
   ろ川



 其翌日は霧深く巳のかねのころ珍敷天日を拝む。行々て又雨ふり、なべ掛の升やといへるにやすらひ、

   はださむき日はことさらになべ掛の

      いひにますやの外はあらじな

 あしのゝいづやにてあるじの望けるに、

   ちのべの流れ尽ぬいづやに

      たれもしばしはたちどまりよらん

 下野とむつの国の境を二所が関といへり。両国の神社ならびたちておハす。いづれも玉つしまの神をしづめ奉るのよし、むつの国の太守御国へいで入りの度ごと、此処にこしをとゞめ、餅をきこしめさるゝ加(嘉)例のよし委事はふじや甚左衛門といへる茶店のぬしの物がたり也。こゝ即いにしへ白川のせきのあとゝてうた人の心をとむる所なれ。又ある人のいふ、いにしへの関は四五丁馬手のかたなりしと。

   能因にくさめさせたる秋はこゝ



   あすしらで三日先つふじの雪

これは三洲しらすかにてのほ句なりしを、其比のあるじの望にて大文字に書てのこされしをとりいでゝ、はなむけに呉らる。今かのへさるのとし迄、百弐十二に及ぶ。又やな川の渋川氏ばせを翁の笈も太刀もといへるほ句を碑にし、さバやのゝ医王寺とやらんへ建らるゝにつき、其石面の文字を我にのぞみ来り。去年の冬したゝめ下せしが、石面にきざませこのたび寺の庭に建られむとの結構にて、幸の下向をまち申さる。我もめづらしき事、たちこへ(え)供養のはいかいをもすべきあらまし、松しま仙台の古因もたづね申度こゝろ専なれど、折ふしの雨天に日頃は二日路斗りのみちも七八日もかゝるなどとの人のいふに恐れ、ひまどりてハ、かうづけの国にての第一の用事にを(お)くれなむ、はるばる下りし大旨をとりはづしてと、家のわざにおもひかへし、夫々の断の文ども遣したり。あとにてきけば、殊の外のまちもふ(まう)けにて、我やどるいほり抔もあらたにしつらひ申されし由、なにほどにのこりおゝ(ほ)し。いまだ捨がたき世のさま、いかにせむと、さしかゝりたる用共とり賄ひ、九月朔日ふく江をたち、その夜又本や大内がいへにとまる。あるじのいへる、先度のほ句のどものうち、

   民いかに雪には雪の耕(たがへし)

この句御前の御意に叶ひ、今一句と仰事有しに、幸したゝめられしうち、

   元日の愚痴世とゝもに無尽也

ことの外めでさせられ、はいかいもかくてこそとの御つたへ也し沙汰よろしく、我も取次したるめいぼくもありしとかたり申されしは、このたびの思ひ出なりと有がたし。あくればあさかの老人、こほり山の露秀をたづね、こめづらし二むかしと有しに、とりあへず、

   月の窓に二十余年の笑ひ哉

 やゝものうちかたり、たちいづるに、

別るゝや西と東に菊を折る
   露秀

ともに南の山をむ秋
   丸

 九日は太田らにとまり、日光を拝し芦尾ごへ(え)に上毛へ通らんとの有増(あらまし)も、ふりつゞきたるみちはしの損じ、ことにえだ道の難義なるべしと人のいさめにとゞまり、なべ掛のやどにもどりしに、其さま雲助ともいふべきほどのもの来りて、旦那たんざく下されい、ほ句いたし申たりといふに、やさしく思へてさし出すに、

   いろかへぬ色を手がらや松の秋 

かきし手もつたなからず、名は円水としるせし。あいさつの心有。いで脇せむと筆とるうち、はしり行てかいくれにあとをしらず。所にも見しらぬもの也といふ。いかなる人のひそかくれしや、いと床しかりき。江戸の道すぢも難義なりと有故、道をかへてあら川の川岸より川ふねにてきぬ川を下る。其瀬の早き川音、さつさつとして物をやぶるがごとし。

   川の名のこや絹を裂く秋の声



 又くがちを六り経て、おなじ日に下総の国さかい(ひ)河岸の小松原五右衛門に休む。こゝなむ猿しま郡にて、かの相馬の将門の内裏をかまへし処もほどちかしとや。源は刀(利)根川の下流にして坂東太郎といへり。こゝより関やどの城下を廻り、行徳ぶねにのり、夜のうちに二十余りを渡り、あくるしのゝめの比には江戸の入口市川の番所にいたり、九月のせつくの巳の刻過に江戸ばしの岸につき、おくのあらまし、くぼた川岸の用談、ともかくに終りて雪中をたづねしにまち申たりとて、淀のとのゝおくがたよりはこつるべにさくらのえだの活たるを画るに讃、

   人の花にふたゝび千代がもらひ水

 又おなじ御家の東秀といへるより、蓼太と我々がふたりの像に讃す。

      蓼師先に立て声をはげまし

   死ぬまでハたどれと不二の雪の中

      我ひと筆書の官女の画に

   なしつぼの松にすだくらむ秋の月

 又おなじ画に

      おにつらはあちら向といひ蓼太はこちらむけ
      といふ

   ど(ふ)うせうのふ(なう)どち枕して春の夜の



 翌は春蟻雨什ともに石町に会す。

   霖雨のれ間をおもふ

月よ月忘れし処めい月か
   大江

 酒に味へきくのしら露
   菊明

まどゐしてえぼしきぬ間のやゝ寒に
   春蟻

 時の大(太)この山ひとつこへ(え)
   芳国

鷺かもめ小春のゆるみ眠るらん
   雨什



 この頃の時候にさへられて、上毛の用事のことありたるに心せかれて、廿六日かミつけへといでたつ。其夜ハ蕨の中むらや作兵衛ハなじミの心しりにて、いとまめやかにあひしろ(ら)ふ。おや子とも農業のはたらきよく、秋の貢も納たりときゝ、

   かり入れしわせとおくての中むらや

      どちもはづさぬさく右衛門どの



 ことしは秋の月の三夜ともに雨ふり月光をミず、こゝに先師のほ句をうちかへして、

   さミだれもあるよひそかにまつの月

やの字をもの字にかへ、月を乞ふ句となれるもをかし。大家市兵衛かたより酬女の琴をひく画に、

      みゝはなといらへるそゝりものに、
      うかと事をまかするをつつしめよ。

   春の夜のゆめゆめ由(油)断すべからず

  平花庵よりうしの画に讃を乞る。

   十牛のひとつもとり得ざれど、

はるの日やこゝろのうしのはなし飼
   完来

 桃ほころぶる二千里の外
   大江



 同じき十八九たかきにありしが、此度くだりし専一の用談、心のゆく儘にとゝな(の)ひ、めいぼく有て、こゝをたち藤岡にかへるに、山名のさとへなおくり迎ひの人の弐十人斗、ことに此日戎こうの折からにて、さゞめきとりはやして興ず。二十一日にはくまがへのかしら井のかたにやどり、二十二日は大宮の山崎喜左衛門にとまる。この先のしらはた前・やきごめ坂など、けしからず霜の置処にして、巳のかねうつころは、あさのしもときのふの霜のこほりたるがひとつに解て、人馬のあしなを悩す。其ほど時をはからひ、道をいそぎ、みちをひかゆる土地の塩梅さまざま成し。廿二日には江戸にかへりこのたびの事務滞なく相調たる初中終を語、早我ものに成たる我なればとて、同席の人々断申而、風流一件にあそぶ。二十五日は八丁め雪中庵にあそびて両吟す。

      柏莚が赤つらら、慶子がふり袖、いづれも古来
      まれものながら大江叟の風流自在なるには、

かほミせや八十一の花もみぢ
   雪中

 霜に向つて不若一黙
   大江



 廿六日は雪中とゝもに赤坂の山王宮へまい(ゐ)る。かへるさ大むら信濃のかミの殿の御やしきに上る。去ぬる比御母堂蘭尼君より深大寺のそばを給り、これを大江の叟にもてなせよとの仰事、女中がしらの貞正尼よりとして御文を下されける御礼のため永田町の御やしきに上る也。このたびあらたに造らせられし御殿のけつかう、いゑ(へ)の絵師衆をめして、御さうじのいろどり、御つき山は御はた本のなにがしの道にたへ玉へるが御出ありて御さしづ有。御つぼにめして御庭を拝

      いやしき身もときしあれ、おゝけなきみた
      ちの林泉を拝し奉るありがたさに、

   どろがめも甲ほす春の日向哉 

  雪中をしてさし出しけるに、

ふたゝびきたり一陽の
   蘭尼君



 十月廿八日は夜雪庵にまねかれ人々にほんそふ(う)せらる。

たからだ氏の亭は東は永代ばしつく田しま、南は筑(築)地・品川八ツ山にして、不二もみぢ山もえわたりて、風景いふばかりなし。

   其日の席   覚書

三宝にのし

床の掛もの ばせを翁の真跡(蹟)

つる下りて七日花るふもと哉

古池やかはづ飛込水の音

永日をさへづりたらぬひばり哉

山路来てなにやらゆかし菫艸

ほろほろと山吹ちるか瀧の音

起よ起よ我友にせむぬるこてふ

   右ゑ(え)い 六句のよこ物

いのち也けり左様に候江戸の月
   大江

 かねての秋をいざ都鳥
   ふせい

かもしを(お)く菊のしたゝりく初て
   完来

 連哥も既に二順三順
   牛心
   (午)


 二十九日はたゞのやくしのうしろなる成美のぬしの別荘に行。石町のみちひこともに小舟にさほ(を)とらせ、随斎がいほりに向ふ。

ふたりしてひとりを訪ふや冬籠
   大江丸

 ひざくづれたるしものうすべり
   成

からくりの唯今からに引かへて
   みちひこ

 けふなむあるじのかたに臨時の事ありげなるに断申かへる。折ふし其比日ざしせしく、再三に及で残りをゝ(おほ)し。



 江戸留別のすりもの諸所へくばりし。おもてむらさきずりにて、一もとがうたをすり、引かへしに冬の句、

   ハア、忘れたり忘れたり

なにづやむめぼしばゞもまつものを

   東海の通行あまたゝびなる大江の翁のかへり
   を送る。

ちかづきのふじもやつりはつしぐれ
   雨什

方朔がうしろ姿も小はるかな
  せいび

なにハともあれ御盛で冬のむめ
 七左衛門

月花を股にかけたり寒のむめ
   春蟻

笑れよひゞあかゞりも江戸みやげ
   午心

   なにはにまつも東都にをしむ

花かへれかへさじ君をにし東
   完来

   又井の上春蟻より我すがたを一枚ずりにして、
   ことし八旬にして健に東都へ下られし大江叟
   に、

千さとゝはあちらにこちらの大江丸

   ちゞにたのしきたびの月

 雪中よりも大江のまろ(ら)う人として連衆の句のあるすりもの百枚給る。



 江戸出立は九日の夜の九どきいでたつ。例の賄勘介、長久手の長助、さめがい(ゐ)の浅右衛門、川ばたの勢七なり。其夜のことに寒風はだへをうがつに、西を向ひ(い)て行事鯉魚の水きるにもたぐふべきや。まだ夜の七といふに、品川のさみづなるむさしやが家に至る。店の清六・作兵衛・一郎兵衛、疾々(とく)こゝにまち受て、おくりの酒くむ中へ、おもひがけなう(ふ)雪中完来・離芳坊をつれて入来有。其深切なる、誠に亜父としたゝめられたる毎日の消息むべ成けらし。かたみに又の向顔をちぎるうち、早ひがしの空にあかねさして、霜月十日の旭かづさ・房州の山頭にさしのぼるけしき、たぐひなくぞおもはる。なごりはいつまでと盃を納。

      どのむさしやに送りの人々とあ・かづ
      さの山かづらをうたふ。

旭まで我しも月を十日哉
   大江

 梅寒からぬ其袖がうら
   雪中

 さむからぬそでといふをちからに、あとふりかへらずかごを早め、其日は戸づかさゝやにとまり、はこね山も日より能、十二日ぬまづにとまる。六花老人やどへたづね来りて、

   大江の叟のたび中を訪ひて、

あたまつ白し不二見て相ごたつ
   官鼠

 しも雪氷としをくらべて
   丸



 はまゝつの臥牛といへる人の望て、つるとかめとの二つの画に、

   春も早つるよりすゝむ日脚哉

   かめ既にむつをかくしてけさの秋

 吉田に至れば木朶老人まちもふ(まう)け、例の石羊にあつまり、

      まだ日はたかし、たちいづる大江老人がそで
      をひかへて、

とまらんせさびしき夜半をぬくめ鳥
   木朶

たかのいら子も御なじの宿
   大江

 木朶、桐茂、其外の人々入つどひさまざまのかきものす。

   たか国の頭巾たびけりあじろ守

   はちたゝきいつの帝の御叡覧

   灯ともさ鳥やたつらん雪の軒

右、木朶



 あくれば廿日、日和よく追風も有りて四日市に至り、そのだに泊る。このさとのくろだなにがし、ほとゝぎすの鳥をすきて、あまたの詩哥をあつめ、好かるゝ心のこりたるにや、自然の石をほりたり。ほとゝぎすのかたち有しときゝて、

   ほり出せし是蜀帝の玉かしわ(は) 

申遣しけれバ、即刻礼に来りけり。

 廿一日の早朝より雪ふりいで、段々と強くふり、せきの駅にて一尺のうへもつもり、坂の下にとまる。すゞか山の道、人馬の通路たへ(え)たり。やうやうひる過、山のくちあきたりとてたち出。

   何寸ときざつけばやむまやぢの

      すゞかの山につもるしら雪

 土山・水口・いしべ辺、この道すがらたゞしろがねの中をよぎるこゝちにて、おもしろき事をもいゝ出べきけしきながらも、さしあたる寒気にとぢられ、かごのうちにひそ、唯いろりの火をこふる斗、やうやうと大津のやどにつき、廿四日は京都に入るとて、

   冬ごもり相坂山に窓もなし

 京都に入て用事をかたづけ、橘治かたにて『はいかいぶくろ』の出板をいそがせ、二十五日ふしに至り、巳の刻に出舟、同日の戌の刻めで度私宅へかへりたり。抑このたびの行路、七月廿日ニたびだち、日かず百八十四日の内、雨天六十三日也。日ごとにふりし様おぼゆれども、たびはとかく日和にあかぬものなり。去ば行過し国は、かわ(は)ち・山城・あふ・いせ・尾張・三河・遠江・するが・いづ・さが・むさし・下ふさ・かづさ・下つけ・むつのおく・ひたち・かうづけ・しなのにして、海をこゆる事四、山大小二十六所、川大小百六十五流、城下二十六、せき所七か所、往来四百九十三り余也。おもへ八十一才の身にして甚をこの業なりけらし。人々笑ひ玉へほめ玉へとこゝに筆をとゞむ。

大江丸老翁の東武よりつゝがなき登坂を待うけたり。其勇健

   いやはや言語同断

   口でこそ申せ八十雪のたび   不二菴

大伴大江丸に戻る