俳 書
『泊船集』(巻之一)(巻之六)
元禄11年(1698年)11月、板行。風国編。最初の芭蕉句集。574句を収録。
風国は京都の医師伊藤風国。通称は玄恕。
元禄9年(1696年)9月、『初蝉』刊 。
いかにぞや汝ちゝににくまれたるか、母にうとまれたるか、父はなんぢを惡むにあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯是天にして、汝が性のつたなきをなけ。
松葉や風瀑が伊勢に在りけるを尋ね音信れて、十日ばかり足をとゞむ。
暮れて外宮に詣で侍りけるに、一の鳥井の陰ほのくらく、御燈(みあかし)處々に見えて、また上もなき峯の松風、身にしむばかりふかき心を起して。
みそか月なし千とせの杉を抱くあらし
腰間に寸鐡を不レ帶、襟に一嚢を懸けて、手に十八の珠を携ふ。僧に似て塵有俗に似て髪なし。我れ僧にあらずといへども、鬢(びんづら)なきものは浮屠の属にたぐへて、神前に入をゆるさず。
西行谷のふもとに流れあり、をんなどもの芋あらふをみるに。
いもあらふ女西行ならば歌よまむ
其の日のかへさ、ある茶店に立寄りけるに、てふといひけるをんな、あが名に發句せよと云うて、白き絹出しけるに書付侍る。
蘭の香や蝶の翅にたきものす
閑人の茅舎をとひて
蔦植ゑて竹四五本のあらしかな
長月の初め、古郷に歸りて、北堂の萱草も霜枯果てゝ、今は跡だになし。何事も昔しに替りて、はらからの鬢白く、眉皺寄りて、只命り有てとのみ云ひて言葉はなきに、このかみの守り袋をほどきて、母の白髪をがめよ、浦島の子が玉手箱、なんぢが眉もやゝおいたりと、しばらくなきて、
手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜
大和國に行脚して、葛下の郡竹の内と云ふ所にいたる。此處はれいのちりが舊里なれば、日頃とゞまりて足を休む。
藪よりおくに家在り
わた弓や琵琶に慰む竹のおく
二上山當麻寺詣で、庭上の松をみるに、凡そ千とせもへたるならむ。大いさ牛をかくすともいふべけん。かれ非情といへども、佛縁にひかれて、斧斤の罪をまぬかれたるぞ、幸ひにしてたつとし。
僧朝顔幾死かへる法の松
西上人の草のいほりのあとは、奥の院より右の方二町ばかりわけ入る程、柴人のかよふ道のみわづかに有りし、さかしき谷をへだてたる、いとたふとし。彼のとくとくの清水は、むかしにかはらずと見えて、今もとくとくと雫落ちける。
露とくとく心見にうき世すゝがばや
若是扶桑に伯夷あらば、かならず口をすゝがん。もしこれ許由に告げば、耳をあらはん。
大和より山城を経て、近江路に入て美濃にいたるに、います山中を過ぎて、いにしへ常盤の塚あり。伊勢の守武がいひける、よしとも殿に似たる秋風とは、いづれの處かにたりけん。我れも亦、
義朝の心に似たりあきの風
不 破
秋風や藪も畠も不破の關
大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武藏野出でし時、野ざらしを心におもひて旅立ければ、
熱田に詣づ
社頭大いに破れ、築地はたふれて草村にかくる。かしこに繩を張りて小社の跡をしるし、爰に石をすゑて其の神と名のる。よもぎ、しのぶ、心のまゝに生えたるぞ、なかなかに目出度きよりも心とまりける。
爰にわらぢをとき、かしこに杖をすてゝ、旅寝ながらに年の暮れければ、
伊豆の國蛭が小島の桑門、これも去年の秋より行脚しけるに、我が名をきゝて、草の枕の道づれにもと、尾張の國まで跡をしたひ來たりければ、
此の僧われに告げて曰く、圓覺寺大顛和尚ことしむ月のはじめ、遷化したまふよし、まことや夢のこゝちせらるゝに、先づ道より其角が方へ申つかはしける。