俳 人

南嶺庵梅至
indexにもどる

南本町の俳人。露川(月空居士)の門人。

可都里『名録帖』に「梅至茶町 南嶺庵」とある。

 宝暦5年(1755年)2月、南嶺庵梅至は芭蕉の足跡をたどって江戸に到る。『奥羽の日記』

 宝暦13年(1763年)10月12日、南嶺菴連中は芭蕉の句碑を建立。



景清も花見の座には七兵衞

 安永6年(1777年)6月、松村篁雨は梅至を訪ねている。

高田 梅至叟をたつねて
高田
北からも名の薫りけり越の風
 山本喜右衛門


 安永9年(1780年)、南嶺庵梅至は『蕉翁追善集』刊行。

梅至の句

にらまるゝ月に逃てハしくれ哉


燈篭や市に鎮まる小柴垣


水の月探りて後と知られたり


冬木立漁村ハくツむ夕なり


俳 人に戻る