山本荷兮



『曠野後集』(荷兮撰)

元禄6年(1693年)11月、『曠野後集』(荷兮撰)自序。

 巻頭に幽斎・宗因などの句を載せ、序文に「たゞいにしへこそこひしたはれるれ」と貞門俳諧を賞賛し、芭蕉から離れていった。

曠野後集 巻第一

 よしやふれ麥はあしくと花の雨
 細川幽齋

 飛梅やかろかろしくも神の庭
荒木田守武

 借錢もきのふの淵ぞけふの春
 山崎宗鑑

 ながむとて花にもいたし首のほね
   宗因

 御らんぜむことさら民の庭竈
   越人

 文時が帋のそりやはなのはる
   野水

 その中にえり出されたる穂長哉
   鳥巣

 國栖人のたばこをしらぬ昔哉
   荷兮

 若草に口ばしぬぐふ烏かな
   凡兆

曠野後集 巻第三

 それよりして月夜烏や郭公
   其角

 しら濱や何を木陰にほとゝぎす
   曾良
  加賀
 懐にいるゝ人なきほたる哉
   句空

    川邊眺望

 此あたり目に見ゆる物はみなすゞし
   芭蕉

曠野後集 巻第四

 我を客我をあるじやけふの月
   如行
  大垣
 宵まとひ無理に釣出す月見哉
   竹戸

曠野後集 巻第五

    兼日の会に

 ためつけて雪見にまかる紙子哉
   芭蕉

曠野後集 巻第六

    名所 

 はつ夢や浜名の橋の今のさま
   越人
  新城
 草鞋ながらまづ清水の花見哉
   白雪

 面櫂やあかしの泊り郭公
   荷兮

    身は蟇に似て十歩を過ず。ゆきゆきて三河
    の市の家にやどる

 かゝる時蚤にも痩よ艸莚
   荷兮

    鳴海に一夜とまりて、主の庭の曙
    をみる。

 夏山や樗に續くいはし雲
   荷兮

 繪にかける扇見にけり須磨の寺
   如水

    越人にあふて

 おとこぶり水のむ顔や秋の月
   凡兆

 秋の日のかりそめながらみだれけり
   去來

    東福寺開山諱

 村しぐれ一二の橋の竹笠屋
   荷兮

    杜国がいらこにしばらく住ゐしてほどなく身
    まかりけるに

 蛛(くも)のいのはかなや春の繩簾
   荷兮

    落梧追善

 雨水の青(あをき)にやどるほたる哉
   荷兮

    はるをお(を)しむにつけても、たゞなつかしき
    なんど、伊良胡の杜国にいひやるとて

 住すてし家見に行や花の時
   同

 京に居て京なつかしや郭公
   芭蕉

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