俳 人

八巣謝堂
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総州楫取(香取)の人。八巣二世、八巣一世は桜井蕉雨

謝堂 村松町建具屋ノウラ   八巣


 天保10年(1839年)、八巣謝堂は東京都足立区の西新井大師に八巣蕉雨の句碑を建立。


一輪の牡丹終日咲にけり

記念集『木の葉懐紙』が出版された。

 天保11年(1840年)3月、八巣謝堂は本駒込の徳源院に八巣蕉雨の句碑を建立。


さみだれや初手をおもへば山の雨

 天保12年(1841年)、蕉雨の十三回忌追善に『さつきそら』(謝堂編)刊。

 弘化2年(1845年)10月17日、八巣謝堂は斗囿の十三回忌に訪れ、その後謝堂は蘇羽鷹神社を訪れている。

   斗囿仏十三回日くれて詣

霜の声もつまで居らん墓の前

   夜に入りて小金におもむくを

   蘇羽鷹明神の森なる翁の碑を拝す

松杉や空に聞える霜の声

「飄々斎先生訪ねるの記」

嘉永4年(1851年)、没。

岡椿舎一友は八巣謝堂の門。

 安政4年(1857年)6月、西村橘井は松戸市小金の八坂神社に鶴水・謝堂の句碑を建立。


同し風毎日吹いて梅の花
   飄々斎鶴水

飛音のしてその後も閑古鳥
   八巣 謝堂

謝堂の句

引込だ住居や椿二本だけ


月さして夜も無にせぬ清水哉


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