俳 書
『俳諧一葉集』(春の部) ・ (秋之部)
發句秋之部
寛文延寶天和年中
見渡せば詠れば見れば須磨の秋
畫 賛
鶴啼や其聲に芭蕉破ぬべし
月ぞしるべこなたへいらせたびのやど
武藏野や一寸ほどな鹿の聲
茅舎の感
芭蕉野分して盥(たらい)に雨を聞夜哉
秋のくれ男は泣ぬものなればこそ
近江路を通り侍る頃、日野山の邊にて胡摩といふものに、上のきぬとられて
貞享元禄年中
鳴海眺望
初秋や海も青田の一みどり
直江津にて
文月や六日も常の夜には似ず
出雲崎にて
荒海や佐渡に横たふあまの河
嵐雪が畫に賛望みければ
朝貌は下手の書さへあはれなり
蕣は酒もりしらぬさかりかな
朝顔やこれも又我友ならず
和其角蓼螢句
朝がほに我はめしくふをとこ哉
物書て扇ひきさくわかれかな
ある草庵にいざなはれて
秋涼し手毎にむけや瓜茄子
宿敦賀
あの雲は稲妻をまつたより哉
有智識のゝたまはく、なま禅大疵の基とかや、いと有がたくて
本間主馬が宅に、骸骨どもの笛、鼓をかまへて、能する所を畫て、舞臺の壁にかけたり。まことに生前のたはぶれなどか此遊ひにことならむや。かの髑髏を枕として、終に夢うつゝをわかたざるものも、只、此生前を示さるゝもの也。
崑崙は遠く聞、蓬莱・方丈は仙の地なり。まのあたりに士峰地を拂て、蒼天をおさえ、
日月の為に雲門をひらくかとむかふ處、みなおもてにして美景千變す。詩人も句を尽く盡さず、才子・文人も言を斷ち、畫工も筆を捨て走る。もし藐姑射(はこや)の巧の神人ありて、其詩をよくせむか、其繪をよくせむか。
甲戌の秋、大津に侍りしを、このかみの許より消息せられければ、舊里に歸て、盆會をいとなむとて
草の戸ぼそに住みわびて、秋風の悲しげなる夕ぐれ、友だちの方へつかはしける。
いさゝかなる處に旅立て、舟の中に一夜をあかして、暁の空、篷(とま)よりかしらをさし出して
淺水の橋をわたる、俗にあさうつと云ふ。清少納言の橋はと有、一條あさむつのと書る處とぞ。
仲秋の夜つるがに泊りぬ。あるじの物がたりに、此海に鐘の沈みて侍るを、國の守のあまを入て尋させ給へど、龍頭下ざまに落て、引揚べきたよりもなしと聞て
月いづこ鐘はしづめる海の底
木因亭にて
隱れ家や月と菊とに田三反
斜嶺亭 戸をひらけば西に山あり。伊吹と云。花にもよらず、雪にもよらず、只、是孤山の徳あり
其まゝに月もたのまじ伊吹山
伊勢の國、又玄が宅へとゞめられ侍るころ、その妻の男の心にひとしく、物毎まめやかに見えければ、旅の心を安くし侍りぬ。かの日向守の妻、髪を切て席をまうけられし心ばせ、今更申出て
柴のいほときけばいやしき名なれども世にこのもしき物にぞ有ける。此歌は東山に住ける僧を尋て、西行のよませ給ふよし、『山家集』にのせられたり。いかなるあるじにやとこのもしくて、ある草庵の坊につかはしける
柱は杉風、枳風が情を削り、住ひは曽良、岱水が物數寄を侘、なを名月のよそほひにと、芭蕉五もとを栽たり。
蓮池の主翁、また菊を愛す。きのふは龍山の宴をひらき、けふは其酒の餘れるをすゝめて、狂吟たはぶれとなす。猶おもふ、明年誰かすこやかならむことを
考 證
此吟は井伊家の邸に、許六を尋ねし時、許六たまたま家にあらず。依てかれが歸るを待うちの作なりとぞ。其中柱といふものは、今も猶井伊家にありと云。
發句冬之部
寛文延寶天和年中
貞享元禄年中
桐葉のぬし、志淺からざりければ、しはらくとゞまらむとせしほどに
はやこなたへといふつゆの、むぐらのやどはうれたくとも袖をかたしきて、おとまりあれやたび人