2023年福 岡

皿倉山〜野口雨情〜
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 JR小倉駅南口(小倉城口)の高速バス乗り場から西鉄高速バス「西鉄天神高速バスターミナル行き(いとうづ号)」で「高速皿倉山ケーブル」下車。

山麓駅からケーブルカーで山上駅へ。


山上駅からスロープカーで展望台駅へ。


生憎の天気であった。


北九州市立桃園球場が見える。

昆虫碑


恋人の聖地


恋人のような人は、いなかった。

昭和5年(1930年)、北原白秋は八幡を訪れ「鉄の都」を作詞した。

東展望台に下ると、北原白秋の文学碑があった。


  鉄の都
たかる人波さすがよ八幡
 山は帆ばしら海は北
  舟も入海洞の海
こゝの御空で立つ煙ぢゃえ
 えゝま立つ煙ぢゃえ

 昭和49年(1974年)10月26日、八幡ライオンズ倶楽部15周年・帆柱ライオンズ倶楽部10周年に設置。

高炉台公園に北原白秋の歌謡碑がある。

電波塔


皿倉山頂(標高622m)

山上駅へ下る。

野口雨情の詩碑があった。


くきの海辺の船もよい
船も帆がなきゃ行かれない
お供についたくまわにが
山で帆柱切りました
その時きった帆柱は
帆柱山の杉でした

昭和32年(1957年)11月、八幡市建立。

野口雨情先生は、「青い目の人形、からす、あの町この町、雨降りお月さん、こがね虫」などの童謡をつくられた有名な詩人で、昭和7年5月 門下阿南哲朗と帆柱山にのぼられてこのうたをつくられたのです。

副 碑


詩人野口雨情は昭和7年5月 門下阿南哲朗と帆柱山に登り神功
皇后
征西による伝説を聞き帆柱山の詩をつくった「くきの海辺」は
洞海湾のこと「くまわに」とは土地の豪族熊鰐のことである
  詩は上原げんと作曲森繁久弥レコードに吹込む
   書名 雨情筆  詩文字阿南哲朗

昭和48年(1973年)1月27日、八幡児童文化会建立。

左側面

みはるかすくきの海や帆柱山
すゝきのゆれて雨情の声する
森繁久弥

戸畑図書館へ。

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