この地は、柳川城郭南西角に位置し、元文3年(1738年)に5代藩主立花貞俶により柳川城二ノ丸御殿にあった奥の機能が移され、以降「御花畠」と呼ばれます。立花氏庭園は、この藩主立花家の屋敷を前身とし、明治時代に造られた伯爵立花家の邸宅と庭園です。 14代藩主立花寛治は、明治22年(1889年)に柳川へ帰郷し、明治39年から伯爵邸の本格的な造営に着手しました。現在まで残る西洋館、大廣間、御居間、家政局、門番詰所と、松と石が水面に映える庭園「松濤園」は、明治43年(1910年)に成立しています。 江戸時代の大名庭園の面影を残す「東庭園」をあわせて、7千坪をこえる広さの国指定名勝には、伝来の武具類や美術工芸品などの大名道具が展示される立花家資料館もあり、柳川藩主立花家の連綿たる歴史が、今も柳川に息づいているのを感じられます。 |
昭和30年(1955年)5月15日、高浜虚子は高浜年尾と星野立子を伴い柳川を訪れ、松涛園へ。 |
五月十五日 柳川行 夏山や肥筑平野も漸くに 柳川の大木の夏柳かな 松涛園(お花、立花邸) 拡ごれる春曙の水輪かな |
月見船 待つ間ハ水の 三叉路に |
明治43年(1910年)、立花文子は伯爵立花家の次女として生まれる。 昭和10年(1935年)、元帥島村速雄の次男和雄と結婚。 昭和25年(1950年)、料亭旅館「御花」開業。 平成6年(1994年)、和雄死去。 平成22年(2010年)、文子は100歳でその生涯を閉じる。 |