2021年〜福 岡〜
小森江公園〜林芙美子生誕地記念文学碑〜
掌 草 紙 |
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いづくにか |
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吾古里はなきものか |
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葡萄の棚下に |
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よりそひて |
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よりそひて |
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一房の甘き実を食み |
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言葉少なの心安けさ |
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梢の風と共に |
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よし朽ち葉とならうとも |
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哀傷の楽を聴きて |
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いづくにか |
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吾古里を探しみむ |
林芙美子(1903〜1951)は、昭和初期から戦後日本を代表する女性作家の一人で『放浪記』・『浮雲』などで知られています。 芙美子の出生地は、従来『放浪記』の記述などから下関市と言われていましたが、芙美子と親交のあった井上貞邦(1911〜1996、隆晴は筆名、医師、北九州市門司区の生まれ)の研究により門司区出生説が発表され、現在では定説になっています。 この文学碑は、昭和49年に建てられました。芙美子の出生地は、ここから西に約400メートル離れた北九州市門司区小森江2丁目2番1号の神戸製鉄所プール付近(旧門司市小森江555番地)です。 碑の詩「掌(たなごころ)草紙」は昭和8年に出版された第2詩集『面影』の「こひた」に収められています。碑の題字は井上貞邦です。 芙美子の命日に当たる6月28日に近い日曜日には、この碑前で林芙美子忌が、また誕生日の5月5日には、門司区の芙美子ゆかりの地で生誕祭が、それぞれ行われています。 なお、北九州市はJR門司港駅前の「旧門司三井倶楽部」内に芙美子の資料を展示するとともに、若布刈公園の国際海運会館内に「林芙美子資料室」を設置しています。 |
陽の中の |
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茶の花 |
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月日惜しみけり |
大正14年(1925年)8月11日、大塚翠城の長女として、企救郡松ヶ江村(現在の北九州市門司区の一部)に生まれる。門司高女在学中、岸秋渓子の指導により俳句を始める。 昭和17年(1942年)、川端善久と結婚。 昭和37年(1962年)、雲母同人。 昭和41年(1966年)、表記の句が飯田龍太の特選一席となる。 昭和44年(1969年)12月27日、交通事故のため急逝。享年44。 昭和45年(1970年)12月27日、雲母北九州支社句碑建立。 |