2023年福 岡

山頭火・緑平の句碑〜糸田小学校〜
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昭和5年(1930年)11月29日、種田山頭火は糸田町に木村緑平を訪ねた。

 ボタ山の下で子のない夫婦で住んでゐる

・逢ひたいボタ山が見えだした


皆添(みなぞえ)橋のレリーフに山頭火の句が書かれていた。


 逢ひたい
捨炭(ボタ)山が
 見えだした

一日早ければ一日の幸福、一日早(ママ)く一室一人の自分として生きたいと熱望してをります、申上げたい事はたくさんありますが、近来の私はこまごまと手紙を書きつゞけることが出来ません、書かないでも、あなたは私の心を知つてゐて下さる、私はあなたを信頼します、先日の句のうち

逢ひたいボタ山が見えて来た(見え出した改めて)

乞ふことをやめて山を観ること(を除きことを加える)

忌憚なき御教示下さい、どうぞお大切に。

昭和5年12月2日の木村緑平宛書簡

糸田町の県道405号香春糸田線沿いに糸田小学校がある。

糸田小学校の先に木村緑平の句碑があった。


かくれん坊の
  雀の尻が
 草から
  出てゐる

裏に種田山頭火の句が刻まれている。


ふりかえる
  ボタ山
ボタン雪
ふりしきる

出典は『旅日記』

昭和11年(1936年)3月3日の句である。

平成10年(1998年)、「山頭火フェスタinいとだ98」開催記念に建立。

糸田小学校は井上陽水の母校である。

伯林寺へ。

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