太宰府天満宮への参詣は、平安時代から官人や文人などにより行われてきました。江戸時代になり交通網が整備され、庶民の旅行が増加すると、お伊勢参りや善光寺参りのような寺社参詣が盛んになりました。天神信仰が全国に広がる中で、太宰府天満宮は文学・学芸の神として信仰を集め、「さいふまいり(太宰詣り)」と呼ばれる天満宮参詣旅行が盛んになりました。 江戸時代の紀行文から、さいふまいりの人々は宰府宿の旅籠や宿坊に宿泊し、太宰府天満宮のほかに水城跡、都府楼跡、戒壇院、観世音寺などの名所・旧跡を巡って、歴史や文化に触れ楽しんだ様子が窺えます。 |
市役所前の県道は、関屋(現在の太宰府消防署付近)で日田街道から分かれ、太宰府天満宮に向かう参詣道で、江戸時代の道幅は現在の半分もなかったようです。北側には都府楼跡や観世音寺などの名所があり、南側にはかつては田んぼが広がっていました。 |
元号「令和」は、「万葉集」巻5所載の「梅花の歌32首」の序文を典拠とする。序文には、天平2年正月13日に大宰帥旅人の邸宅で宴会が開かれ、そこで詠まれた歌であることを記すが、その日のことを以下のように記す。 于時 時に 初春令月 初春の令月にして、 氣淑風和 気淑(よ)く風和ぐ。 梅披鏡前之粉 梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、 蘭薫珮後之香 蘭は珮後(はいご)の香を薫らす。 「令和」は、その「初春令月 気淑風和」の「令」と「和」とに拠って考案された元号である。 太宰府ゆかりの元号であることを記念して、ここに建碑する。 |