2018年福 井

常高寺〜尾崎放哉の句碑〜
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小浜市小浜浅間に常高寺という寺がある。

背を汽車通る草ひく顔をあげず

尾崎放哉の句である。

常高寺石階段


連続テレビ小説「ちりとてちん」ロケ地を紹介!
〜ヒロイン悩みを親友に相談〜

常高寺石階段

 織田信長の妹であるお市の方の三姉妹の次女として生まれたお初は、姉の淀君と妹の与江の姉妹の間で、豊臣と徳川の共存に奔走しました。

 お初は、(常高院)常高寺を創建して自らを常高院と号し、生涯を江戸で終えた後、常高寺に葬られています。

「常高寺の山門と石階段の間を電車が走り抜ける」光景は、どこか懐かしいアニメの世界の様子です。この石階段で撮影が行われました。ヒロイン喜代美が石階段に座って、親友の順子と相談をします。石階段の上からは風情ある町並みや海が望めます。

常高寺山門


人の駅 尾崎放哉

 明治18年(1885年)父信三・母なかの次男で鳥取県に生まれた放哉は、1909年東京大学を卒業後、生命保険会社に就職しましたが、酒に溺れて退職に追い込まれました。以後、漂泊の旅を続け、大正12年(1923年)京都の一灯園で托鉢生活に入りました。大正14年(1925年)5月、この常高寺の寺男として同年7月まで小浜で過ごし多くの俳句を残しました。その後、京都や須磨を転々とする間、膨大な俳句を詠み才能を見事に開花させていきました。同年8月に小豆島西光寺南郷庵(香川県)に住み、3千句に近い俳句を作り、翌年4月孤独な42歳の生涯を終えました。

山門の脇に尾崎放哉の句碑があった。


浪音淋しく三味や免させて居る

凌霄山常高寺


臨済宗妙心寺派の寺である。

昭和58年(1983年)9月19日、金子兜太は常高寺を訪れている。

 小浜三丁町を歩く。なお昔の花街のおもかげを残し、ときどき小さな、しかしなかなかに床しい寺あり。放哉のいた常高寺はあれはてていたましい。由緒ある人の墓もあるのに。犬熊海岸、さとう(民宿)に泊る。

   肉体萎えるや窓に鴎の背中見えて

   鳶喘ぎ喘ぎ秋禿頭の上に墓

『金子兜太戦後俳句日記』

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