船出でて仁右衛門島に迎へけりなほ鎌倉の前の世のごと
潮鳴りをほのかに聴きて島のぬし仁右衛門の家岩岩の奥
仁右衛門の古屋のみかは斧をもて我等の歌も心を削る
岩痩せて水仙咲きぬ海人(あま)の長(をさ)島仁右衛門隠者めくかな
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富安風生の句碑があった。
初渚ふみて齢を愛しけり
「九十四叟風生」とある。
『齢愛し(よはひをし)』(昭和52年)に収録の句。
全国で60目の風生句碑である。
昭和54年(1979年)2月18日、建立。
昭和54年(1979年)2月22日、風生は94歳で没。
芭蕉の句碑があった。
海暮て鴨の聲ほの可尓白し
島主住居表門
島主仁右衛門居宅
鈴木真砂女句碑
あるときは船より高き卯波かな
平成7年(1995年)3月5日、建立。
明治39年(1906年)、鴨川の老舗旅館「吉田屋」に三姉妹の末娘として生まれる。
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「吉田屋」は鴨川グランドホテルの前身。
平成15年(2003年)3月14日、96歳で亡くなった。
平成20年(2008年)7月20日、鴨川グランドホテルに「鈴木真砂女ミュージアム」オープン。
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神楽岩
日蓮聖人が旭を拝んだところと伝えられる。
神楽岩から海を見る。
源頼朝かくれあな
治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房に逃れた際、平野仁右衛門に助けられ、この島で平家軍から一時身を隠し、巻き返しを図ったと言い伝えられる。
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水原秋桜子句碑
巌毎に怒濤をあけぬ春の
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虹立つや雨雲ひくき波の列
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鶺鴒も千鳥も飛ふよ初あらし
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冬凪きて岩壁映ゆる夕焼雲
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昭和40年(1965年)10月9日、建立。
久野治『秋桜子句碑順礼』によれば17番目の句碑である。
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