荻原井泉水ゆかりの地
『井泉水句集』
小豆島、淵崎 島島の眺めよろしきここの島の神 鳶と見れば花に舞ふ山の松に舞ふ 宝樹莊 里に近く來て夕空を仰ぎをり小鳥 雲雀の中に雀鳴く一つ家はある 仁右衞門島 寒い日暮れて島の渡船まだある 夕日褪せたる青白き巖を這ふ蠹か 島の水仙を嗅ぐ冬の匂あまし 水仙のかしら重たく雨となるらし 獨り旅の此島の水仙を手折り 曇しづかに潮滿ちて暮るる島の家 |
十月二十八日朝、妻卒かに倒る、夕方、死す ただに水のうまさを云ふ最期なるか すべなく彼に水を與へるだけの我であつて 事きれし後の湯婆を明ける誰か音させる 病む母の屏風借りて來て佛に立てる 十一月三日、妻を中野西方寺に葬る 骨壺をかかへ街は埃風の俥でゆく 葬り終へし空に星一つかかる時 |
一月三十一日夕、遂に歿す いまはの母の顔に我顔くつつける 久しぶりに母と並んで寢る事きれし母と 四月一日、家を出づ、京都に至りて、さる上人 にすがり、寺に入らんと心を定めて 闇に梅の咲きしらむ家をはなれる 石のしたしさよしぐれけり |
しばらく京都にかゝりをりし放哉、再び瓢乎とし て遠く去らんとす、或は再會を期し難からん、一 夜予が寓に送別の小宴を張り、翌夜彼を驛に送る 翌からは禁酒の酒がこぼれる はじめてうたふ君を聞いて別れるばかり 蠹を灯に狂はしてうたつてゐる 醉うて足りていよいよ圓い顔になる たべこぼした物を拾ふ蠹も拾ふ 月のない夜のへしやげた月が出るまで飲んだ くものすに顔をとられるまで醉うた |
去年八月、「放哉送別」の句を作る、思はざりき、 今、「放哉告別」の句を出さんとは。四月八日、彼 の死を電知し、「死んだら土をかけてくれよ」との 生前の約に依り、小豆嶋に赴く。彼の庵は土庄の 南郷庵なり 好い松持つて死に場所としてゐた 草もゆる土塀から出ずにしまつた 「醉ふていよいよ圓い顔」なりし彼の痩せやうよ だまつて死んでゐる彼に手を合す うつむいてゐる棺の顔さしのぞけど 「生涯こゝを出ない事にきめた」とまで彼が云へり し庵の後丘に葬るべき地を求む。西光寺玄々子、 いと懇ろに世話したまひて、葬の事とゞこほりな くはこびたる、有がたき事なり 墓どころ探して雲雀なく海も見える 墓のあひだの草掘りおこし墓にする 墓穴いまから掘る日がのびてゐる 「醉のさめかけの星が出てゐる」とは放哉の句なり 墓穴出來た星が出てゐる |
高城村(赤彦の家) 蕪など干して君が亡き家かや 枯草に墓路のあるとなく墓の見えて 其木の赤き實こぼれおくつきどころ くぬぎ山も枯れてあたたかし山は 石山寺 石山の石に笈をおき小鳥のこゑ 冬の日させば石に南天の赤く 雪ある山門まで道かわけり 唐 橋 冬の日湛へし水のひたひたする 短日の川蒸汽が浪を寄せる 浮び出てにほ鳥の晝の深さよ 義仲寺 冬の日よする門前までさざなみ その薄も枯れてぬくとくこの芭蕉も |
青根にて 雲でもない海が見えるうぐひす 給仕女もひぐらしきいて山ばかり 杉のうつうつたるひるのかなかな ひぐらし鳴く山に山のかげりきたり 石に温泉の青さ夏の日さしより 温泉の瀧なすを双肩(もろかた)より |
我家として薄に風呂をたく(材木座光明寺内に移る) 後の月は移り住みて晴れてゐる 海へ後の月のけやけや 隣のありて烏瓜の色づきくる |
杉本寺にて あか水汲みこぼしてもぬくし 櫻散りあふるるを一木なり 蝋のしずくす風が春にして山の堂 南無觀世音、杉間より散るは櫻よ これはお僧よりの草餅よ |
青函連絡船にて 浪に雨がおちてゐる隔りゆく しづかに梅雨空のうねりとなりゆく船 船でころげる林檎しろじろむきました デツキの六月の海をあるいてきたスリツパ 梅雨空の岬とは見えしを遠まさり これが海猫といふに鳴かれて函館は雨 みんな夏帽の、夏帽を取つた顔が船のそば トラピスト修道院 此青草の此牛を神のみまへ 閉ぢて暮れおそき日の樂園を繪がきし窓 あすは聖祭のその花といふ雨の一束 雨にタンポポの咲きしつぼみし祈祷の鐘 木沓はいた神父さんと、かつこう 湯の川 川があつて、明け易き温泉の窓を明けると 夜明けて青い草に釣竿出してゐる 大沼公園 沼の小沼の小雨の晴れよう空 唄うて流れるままにして唄ふ 水に影も芽ぶいたるが落葉松 水に盃を洗うてうぐひす 島も木の芽の、橋のかけてある島も 楓若葉を少しはあるかう楓の花 風は六月のそよ風で裏白ポプラ 芽ぶいて水沿ひにあるければあるく 蝦夷富士 湖へ、ここらは橡の芽の雨晴るるみち 窓に擦れて芽ぶいてゐる電車で行く 有珠から霧のはれかかるいたどりの花 湖の見えて來、橡の芽の雨はるる道 洞爺湖 梅雨のわづかに夕燒けたるは蝦夷富士 水にも見えて蝦夷富士が五月雨のはれま 蝦夷富士か雨雲の明るきは西か 洞爺の朝 ばさばさ夜の青みくるにからす そのなかさみだるる島が湖の中 温泉煙 夜明けてゆく灯が灯が木の芽 湯の香の強さ夜のはや明けてゐる 赤いつつじの鉢が湯のそとにピンポン 霧が温泉煙にはなれてゆく鳥 地獄湯へじんじんばしよりで鶯 一せいに地獄の湯煙へ芽ぶく そのあたり雲の下りてもゐるとど松 飛び込めば骨も殘らないとのぞいてゐる 沼は朽ちた小家と朽ちた舟が一さう |
山に車とめて夏の萩さくみち(蓮華峰寺) ふるき御堂のよろしさ水引草を手にして 小さな窯はもちて青い葡萄の蔓 晝のひぐらしのしんもりと寺の猫(妙宣寺) 晝月、島に一つの塔といふ 見て戻るも見にはいるも紅葉の見ごろ(黒部峡谷に入る) けむり一すぢの山のたつまきが空 さらに紅葉を深くして水のたぎりくる 紅葉のかげりたる湯がぬるいさうな(鐘釣温泉) 水音、湯の岩に頭(かしら)をおく 活けし岩魚を見て湯を出し夕餉のまへ |
其跡住む人が住みてトマトの花(放哉生家を見る) 鯉の行きて水のひろびろと影るなり(興禅寺) 影、雨はれし鯉のならびゆく |
其中庵訪問 此のみち蜂の子手にしての野菊であらうを 道で、これが校長さんのお宅の柿の木 なるほど其中庵の茶の花で咲いてゐる これだけで茶は足りるといふ茶の木の花 笠は掛けるところにかかり茶の花 柿一つ空にあづけてあつた取つてくれる |
高遠の櫻を見んとて 山越えて山の、ひろびろと湖の櫻さ 花を花に來て花の中に坐り うしろ手ついて顔の空に花 なるほど田樂の燒けるまの花が滿開 三山神社の招請に依りて同山に到る 宮司に迎へられて、手向より參向す これよりは御山の、藤の花、憩ひたまへと 朱(あけ)の橋は祓川の藤の花かな ほととぎす一堂一禮杖ついて 今年は芭蕉翁登拜の昔より二百五十年に當るとかや 御山の中興天宥法印の御靈と併せて慰靈祭を行はる むかし雪をかをらす雪水かこれの青葉ぐもり 水のべ清淨と夏の木の葉を掃く 奥の細道記念講演を開く、終て直會を饗せらる 聽衆とわたしの木の椅子が一つかつこう これぞ雪間の竹の子の白さ羹(あつもの)にし 酒は朱の盃に、お山のうどは朱の椀に盛り 月山はまだ雪の、これは夕日の菫の花 鳴くはかつこうの、姿の見えるほどな夕日が梢 |
ここを芭蕉が通つた砂のあしあとに浪が寄せてゐる春 旅の芭蕉と流浪の杜國とがうららかな浪音であるまぶたの中 行く春におひ付いたといふその芭蕉をおうて來たやうな |
朝は霧、うちでも學校へゆく頃の、聲が子供で通る 霧に花賣の行く川の水はれてゆく 水に鳴く霧はれて二羽をりて鳴く 日程餘白ひろびろと水、鳥のゐる 鳥の泳ぐ來て連れて泳ぐ連れて鳴く かれがれとして音が川のむかう車ひいてゆく |