牧水歌碑

千曲川万葉公園
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『万葉集』の歌碑ばかりではなく、万葉の時代から現代に至るまで27の歌碑が建っている。 |

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若山牧水 |
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大正14年(1925年)6月10日、牧水は信州戸倉温泉「笹屋ホテル」から手紙を出している。 |

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本名太田喜志。広丘村(現塩尻市広丘)に生まれる。広丘小学校校長島木赤彦の下で教師を務める。「信濃毎日新聞」選者太田水穂に認められ、のち水穂を頼って上京。水穂宅に寄留中、若山牧水に出会い結婚。 |

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第5歌集『死か芸術か』 |
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明治45年(1912年)4月2日、牧水は上諏訪松川屋より、太田喜志宛に手紙を書いている。 |
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實は1本か2本で濟ましとくつもりであつた酒を、ツイ5本(と云つても1合か1合半の銚子です)飲みました、そして、それ相當に醉つています、(叱り給ふな、今日は實際飲まざるを得ず) |
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牧水は、父危篤の急電に接して「憐れな老父母を見送らうと決心した」のである。 大正元年(1912年)11月14日、父の死。牧水は大正2年(1913年)5月15日まで、郷里の日向に留まる。 |
