芭蕉の句碑


行駒の麥に慰むやとりかな

蓮華寺から勝沼町等々力の萬福寺へ。


萬福寺山門


一説に甲州の郡内谷村と初雁村とに、久敷足をととゞめられし事あり。初雁村の等力山萬福寺と云寺に、翁の書れし物多くあり。

『芭蕉翁略伝』(湖中編)

 天明8年(1788年)3月20日、蝶夢は江戸へ下る途中で萬福寺を訪れている。

 境内に芭蕉塚有り。「行駒の麦になぐさむ宿(り)哉」とは、誠に其あたり土肥て民家ゆたかに、たゞ物静なり。聖太子の馬蹄石、此庭前に有。親鸞聖人の箸の杉とやらんも、今は焼うせて杉木堂建。


山門を入ると、右手に芭蕉の句碑があった。


行駒の麥に慰むやとりかな

出典は『野ざらし紀行』。貞享2年(1685年)の句。

   甲斐の山中に立ち寄りて、

行駒の麦に慰むやどり哉


 都留市の城南公園にある「ふれあい俳句大会開催記念句碑」に詳しい説明が書いてある。

 寛政年間(1788〜1801)頃、万福寺住職三車上人が中心となって建立されたものであるとされる。山梨県では柏尾大善寺の甲斐塚、甲府市善光寺の碑に継ぎ、3番目に古い碑である。

 碑の落成を記念して句集『駒塚集』が刊行された。落成の日の歌仙発句は五味可都里で「駒づかや世にとどろきの影高し」の句を残しているそうだ。

『諸国翁墳記』に「駒 塚 甲州軣里万福寺 三車建」とある。

等々力山萬福寺


浄土真宗本願寺派の寺である。

枝垂れ桜の陰の鐘楼


青空でなければいけない。

 平成17年(2005年)11月1日、勝沼町は塩山市・大和村と合併、甲州市勝沼町となった。

立正寺へ。

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