永禄元年(1558年)、武田信玄は川中島の合戦で信濃善光寺の焼失を恐れ、御本尊善光寺如来をはじめ諸仏寺宝類を奉遷した。 |
貞亨3年(1686年)、大淀三千風は甲府を訪れ、善光寺にて興行。 |
○偖寺中かなたこなたにまねかれ。庭の記屏風腰ばり何くれと書投(かきすて)。四日逗留して同廿二日甲府柳町伴野氏につく。親子饗應大かたならず。情にほだし八日留る。善光寺にて興行。天神畫像に。 |
○是にて滿座せし。 |
安永5年(1775年)、加舎白雄は甲斐善光寺に参詣している。 |
灯籠仏に参りて、 罪科の重し軽しや春の風 |
天明8年(1788年)3月13日、蝶夢は江戸へ下る途中で善光寺に参詣している。 |
韮崎・龍王・宇津谷・府中、来迎精舎の方丈は、老師法縁有りて、十三日も逗留して所々参詣す。中にも新善光寺は、河中島より信玄公甲府に遷して、籠仏と申奉るは三国伝来の三尊仏とて、開帳の折に逢ふも偏に尊し。勅封の御印状を拝して、難有と申もおろかにめで(た)し。 |
文化3年(1806年)6月26日、菜窓菜英は甲斐善光寺に詣でた。 |
善光寺へ詣、朝氣の洞氷は道の傳はるく、残して甲府に到る。 |