芭蕉句碑存 疑


海に降る雨や恋しきうき身宿

新潟市中央区古町通1番町に船江大神宮がある。


「延喜式神明帳」に「越後國 蒲原郡 船江神社」とある。

安政5年(1858年)、船江神社と神明宮が合祀され「船江大神宮」となった。

船江大神宮に「芭蕉」の句碑があった。


俳聖芭蕉の碑

海に降る雨や恋しきうき身宿

元禄年間北越路へ旅行せられ新潟に於てうたわれし松尾芭蕉の「泊船集 付録」に納められた名句

安政4年(1857年)、地元の俳句会「柳々舎」献碑

俳諧一葉集』に「考證」として収録。

 「海に雨が降りそそいでいる。この雨のわびしさを見ていると、伝えきく浮身宿での女の生きざまがいまさらや悲しく、何か心惹かれる気持でしきりに思い出されてくる」との意。

 『曾良随行日記』によれば、七月二日新潟へ着く前日は雨で、特に夜は「甚強雨ス」というような天候であり、着いたその日は、「一宿ト云、追込宿之外ハ不借。大工源七母、有情、借。 甚持賞ス」という情況であった。海の面に降りそそぐ雨は身も心もめいるようにわびしく、旅の辛さが身に染みたにちがいない。大工源七の母あたりからその夜、浮身宿の話を聞いたのでもあろうか。旅中、女性のやさしさに接することもなく来て、いつしかきざしそめていた一種の飢餓感に越にあると聞いている浮身宿のさまが偲ばれたのであろう。旅商人と遊女との一月ほどのかたらい、そういう仮のかたらいが短ければ短いほどあわれふかく芭蕉には感じられたにちがいない。『奥の細道』では、芭蕉のこのような心の傾きは、やがて市振の章で一つのかたちを与えられるのである。

 『芭蕉句選拾遺』『芭蕉翁発句集』・『奥細道菅菰集』付録(以上二書「越後新潟にて」と前書)。『風羅袖日記』(「新潟にて」と前書)にも収める。『一葉集』は「越の新潟にて」と前書し、考証の部に収める。古い出典が得られない点多少疑わしいが、比較的信ずべき句集に重出するので、芭蕉作と認め、制作場所から見てここに置く。


魯松庵国枝調固(1796-1875)の揮毫による。

魯松庵国枝調固は美濃派(再和派)十三世

安政5年(1858年)、『友千鳥』

慶応2年(1866年)頃から新潟に住む。

明治8年(1875)9月30日、79歳で没。

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