旅のあれこれ


廣田弘毅ゆかりの地

 明治11年(1878年)2月14日、福岡県那珂郡鍛冶町(現:福岡市中央区天神)の石材店を営む広田徳平(通称広徳)の息子として生まれた。初名は丈太郎。

 明治39年(1906年)9月、外交官及領事官試験に首席で合格。同期に吉田茂がいる。

 昭和8年(1933年)9月14日、国際連盟脱退後の難局を受けて斎藤内閣の外務大臣となる。

 昭和9年(1934年)7月8日、岡田内閣成立。広田弘毅は外務大臣として留任。

 昭和11年(1936年)2月26日、二・二六事件。

 昭和11年(1936年)3月5日、天皇から広田弘毅に組閣の大命が下る。

 昭和11年(1936年)3月9日、岡田内閣総辞職。広田内閣が成立。陸軍大臣寺内寿一。

むかし一橋の中學校にてたびたび喧嘩したる寺内壽一は軍人叛亂後陸軍大臣となり自由主義を制壓せんとす


 昭和12年(1937年)2月2日、広田内閣総辞職。

 昭和12年(1937年)6月4日、第1次近衛内閣の外務大臣となる。

 昭和12年(1937年)7月7日、盧溝橋事件が勃発。

 昭和23年(1948年)12月23日、巣鴨プリズンで絞首刑を執行される。享年71。

 昭和57年(1982年)5月15日、廣田弘毅先生銅像建立。

興禅護国

聖福寺(福岡県福岡市)

水鏡神社

(福岡県福岡市)

廣田弘毅先生銅像

(福岡県福岡市)

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