2025年青 森
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芦野公園〜碑巡り〜

津軽鉄道津軽五所川原駅


芦野公園

金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな駅は無いと言はれ憤然として、津軽鉄道の芦野公園を知らんかと言ひ、駅員に三十分も調べさせ、たうとう芦野公園の切符をせしめたといふ昔の逸事を思ひ出し、窓から首を出してその小さい駅を見ると、いましも久留米絣の着物に同じ布地のモンペをはいた若い娘さんが、大きい風呂敷包みを二つ両手にさげて切符を口に咥へたまま改札口に走つて来て、眼を軽くつぶつて改札の美少年の駅員に顔をそつと差し出し、美少年も心得て、その真白い歯列の間にはさまれてある赤い切符に、まるで熟練の歯科医が前歯を抜くやうな手つきで、器用にぱちんと鋏を入れた。少女も美少年も、ちつとも笑はぬ。当り前の事のやうに平然としてゐる。少女が汽車に乗つたとたんに、ごとんと発車だ。まるで、機関手がその娘さんの乗るのを待つてゐたやうに思はれた。こんなのどかな駅は、全国にもあまり類例が無いに違ひない。金木町長は、こんどまた上野駅で、もつと大声で、芦野公園と叫んでもいいと思つた。

太宰治『津軽』より

「芦野公園」下車。

他に降りる人はいなかった。

故木村九折先生略歴

明治28年(1895年)9月30日、五所川原市に出生。本名木村萬之蔵。

昭和3年(1928年)、津軽鉄道入社。同年8月、俳誌「山葵」。

昭和8年(1933年)、芦野公園駅長。

昭和10年(1935年)4月、「水車」を主宰発行。

昭和19年(1944年)、退社。

昭和20年(1945年)10月23日、旧満州国にて歿。行年50歳。

九折碑


 まろばんか
登仙岬は
 郭公近し

昭和55年(1980年)4月10日、水車吟社建立。

俳誌水車創刊50周年記念句碑


昭和61年(1986年)10月26日、建立。

 ここ芦野公園は昭和初期から植えられてきた美しい櫻と自然の老松が見事に調和し、日本さくら名所100選にも選定されている自然公園である。

動物園にクマがいた。


太宰治碑


撰ばれてあることの
    恍惚と不安と
  二つわれにあり

昭和40年(1965年)5月3日、除幕式。

 この丘に立つ太宰治碑は彼の文業を讃え、その名声を後世に伝えるために金木町太宰治碑建立委員会が昭和40年5月3日に除幕式を行った。友人の画家阿倍合成が設計制作を担当した。碑文の「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」はフランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの詩集「叡知」の中の詩句で詩人堀口大学の翻訳である。太宰が昭和10年2月に出版した処女創作集「晩年」の冒頭を飾った小説「葉」の題銘(エピグラフ)として掲げられている。

 20世紀の日本を代表する小説家太宰治の文学精神と全人間像を表現するにふさわしい言葉として、彼自身のものではないが、建立委員会がこれを撰んだ。

 金木町の嘱に依り不肖の弟子である私がここに一文を草した次第である。

  平成13年6月吉日

  
小野正文 識

太宰治


左側から
   
右側から

   


平成21年(2009年)6月19日、生誕百年を記念して建立。中村晋也制作。

太宰治(1909〜1948)

 明治42年6月19日、(本名 津島修治)は、五所川原市金木町(当時、北津軽郡金木村)に、父 津島源右衛門、母 タ子(たね)の六男として生まれた。

 16歳頃から文筆活動が活発となり、同人誌を発行、作家を志望するようになり、昭和5年、東京帝国大学仏文学科に入学、小説家になるため井伏鱒二に師事し、「太宰治」を名乗るようになる。

 昭和8年から小説の発表を始め、「走れメロス」「斜陽」「人間失格」などの名作を残し、昭和23年、39歳でこの世を去る。

 その文学功績を讃え、生誕百年を記念し、2009年6月19日に銅像が建立されたものである。

 銅像建立に御理解戴きました津島園子氏(太宰治長女)、銅像を制作していただきました中村晋也氏(彫刻家・芸術院会員・文化勲章受章者)並びに銅像建立に向けて多大な御尽力を賜りました山田春雄氏(五所川原市出身 美術史家 五所川原市名誉市民)と御協力くださった皆様に深く感謝の意を表します。

 昭和27年(1952年)11月11日、吉幾三は青森県北津軽郡嘉瀬村(現:五所川原市)に生まれる。

津軽平野


吉幾三

津軽平野に雪降る頃はヨー
親父(おどう)一人で 出稼ぎ仕度
 春にゃかならず親父(おどう)は帰る
 みやげいっぱいぶらさげてヨー
淋しくなるけどなれたや親父(おどう)

十三みなとは西風強くて
夢もしばれるふぶきの夜更け
 降るな降るなよ 津軽の雪よ
 春が今年も遅くなるよ
ストーブ列車よあいたや親父(おどう)

山の雪解け花咲く頃はよ
かあちゃんやけによそわそわするネー
 いつもじょんがら大きな声で
 親父(おどう)唄って汽車からおりる
お岩木山よ見えたか親父(おどう)

昭和59年(1984年)3月25日、「津軽平野」発売。



風を裁る音色に
津軽の魂が宿る

津軽三味線発祥の地


 厳しい風土から生まれた津軽三味線。元祖神原の仁太坊(本名秋元仁太郎、安政4年〜昭和3年)は、金木町の出身である。苦難の末、生きるための芸として創り出した「叩き奏法」。やがて仁太坊門下の八人芸、嘉瀬の桃や名手白川軍八郎などによって津軽三味線の基礎が築かれた。今日、豪快な津軽三味線音楽の魅力に全国に愛好家、ファンが多く、芦野公園桜まつりに開催される恒例の全国大会は盛況である。

桂村句碑

番蝶
茜の湖を
渉り来し

中村喜良雄歌碑


さなぶりの
  踊子たちは
    花笠の
 鈴をならして
朝の路地ゆく

平成3年(1991年)5月4日、建立。

斜陽館へ。

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