太宰治ゆかりの地

indexにもどる

太宰治疎開の家


芦野公園から斜陽館へ。


 昭和20年(1945年)3月10日、東京大空襲に遭い、甲府にある美知子の実家に疎開。

 7月6日から7日にかけての甲府空襲で石原家は全焼。津軽の津島家へ疎開。終戦を迎えた。

太宰治疎開の家
旧津島家新座敷


 ここは太宰治が暮らし、23作品を執筆した家です。

 昭和20年、東京と甲府の戦禍を逃れ、妻子を連れて津軽に疎開した際に生家から与えられた居宅であり、太宰が作家になってから暮らした家屋として唯一現存するものです。

 故郷で玉音を聞き、地元青年と交流しながら「パンドラの匣」「トカトントン」「冬の花火」などを精力的に創作しました。没後60年を経て公開された館内は、作家の書斎に座り、知られざる創作の逸話や創作の舞台となった空間、津島家の物語を体験することができる、斜陽館と並び大切な家です。/td>

新座敷と斜陽館


新座敷は太宰がまだ少年だった大正11年、父・津島源右衛門が太宰の長兄(文治)の結婚を機に建てた跡継ぎの新居でした。大邸宅の奥に隣接して「新座敷」と呼ばれた贅沢な5室の離れでしたが、戦後、地主制度の廃止によって大邸宅は売却されて後に旅館・斜陽館となり、文治は居宅とする目的で昭和23年に新座敷を凡そ90メートル東の現在地に曳家しました。/td>

平成19年(2007年)初公開。

 平成11年(1999年)4月9日、尊富士は金木町(現:五所川原市)出身。

 平成17年(2005年)3月28日、金木町は五所川原市、市浦村と合併し、五所川原市となった。/td>

太宰治ゆかりの地に戻る