旅のあれこれ文 学


太宰治ゆかりの地

『津 軽』

 昭和19年(1944年)5月12日〜6月5日、取材旅行。12月、『津軽』発表。

 序編

 或るとしの春、私は、生れてはじめて本州北端、津軽半島を凡そ三週間ほどかかつて一周したのであるが、それは、私の三十幾年の生涯に於いて、かなり重要な事件の一つであつた。私は津軽に生れ、さうして二十年間、津軽に於いて育ちながら、金木、五所川原、青森、弘前、浅虫大鰐、それだけの町を見ただけで、その他の町村に就いては少しも知るところが無かつたのである。

浅虫温泉

(青森県青森市)

太宰治記念館「斜陽館」

(青森県五所川原市)

雲祥寺

(青森県五所川原市)

弘前城

(青森県弘前市)

弘前大学

(青森県弘前市)

「ヤマニ仙遊館」

大鰐温泉(青森県南津軽郡大鰐町)

太宰治文学碑

(青森県東津軽郡外ヶ浜町)

千畳敷

(青森県西津軽郡深浦町)

「ふかうら文学館」

(青森県西津軽郡深浦町)

円覚寺

(青森県西津軽郡深浦町)

 私はこのたびの旅行で見て来た町村の、地勢、地質、天文、財政、沿革、教育、衛生などに就いて、専門家みたいな知つたかぶりの意見は避けたいと思ふ。私がそれを言つたところで、所詮は、一夜勉強の恥づかしい軽薄の鍍金(めつき)である。それらに就いて、くはしく知りたい人は、その地方の専門の研究家に聞くがよい。私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにその科目を愛と呼んでゐる。人の心と人の心の触れ合ひを研究する科目である。私はこのたびの旅行に於いて、主としてこの一科目を追及した。どの部門から追及しても、結局は、津軽の現在生きてゐる姿を、そのまま読者に伝へる事が出来たならば、昭和の津軽風土記として、まづまあ、及第ではなからうかと私は思つてゐるのだが、ああ、それが、うまくゆくといいけれど。

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