与謝野寛・晶子夫妻の歌碑


星野温泉

軽井沢から国道146号で長野原方面に向かう。


 標識を見て右折すると、星野温泉がある。大正2年(1913年)に開湯した歴史ある名湯である。

泉質は低張性弱アルカリ性高温泉。料金は1,000円。

それほど入りたいとは思わない。

 「星野温泉ホテル」は大正4年(1915年)創業の老舗ホテル。北原白秋、与謝野寛・晶子夫妻ほか多くの文学者が滞在したホテルだそうだ。

大正10年(1921年)、与謝野寛・晶子夫妻は星野温泉明星館に遊んだ。

 ホテル手前の池を背にして、寛・晶子夫婦の歌碑が立っている。昭和46年に建立されたもの。歌碑の表に与謝野晶子の短歌、裏には寛の短歌が刻まれている。



秋風にしろくなびけり山ぐにの浅間の王のいただきの髪 晶子



一むらのしこ鳥のごとわかき人明星の湯にあそぶ初秋 寛

自筆の文字だそうだ。

 大正8年(1919年)10月、若山牧水は星野温泉に約1週間滞在。

 大正11年(1922年)10月16日、『みなかみ紀行』の旅で星野温泉に泊まっている。

 思い出深いその家を出たのはもう夕方であった。駅で土地のM−君と松本市から来ていたT−君とに別れ、あとの5人は更らに私の汽車に乗ってしまった。そして沓掛駅下車、20町ほど歩いて星野温泉へ行って泊ることになった。

 大正14年(1925年)6月にも牧水は星野温泉に揮毫会で訪れている。

 大正14年(1925年)6月16日、牧水は長野で手紙を書いている。

 小生9日より今朝まで当地滞在(内、3日戸倉温泉)、今朝松代に向ひ明日半折会、明後18日小諸に到り、多分その日すぐ星野温泉に行つて小諸分の揮毫をなすことゝなり、20日か21日に再び引返して歌会半折会をやり、21日か22日に其処松本在浅間温泉に行かうときめてゐした、

慌ただしいことだ。

 大正12年(1923年)、北原白秋別所温泉から追分、沓掛、そして星野温泉を経て碓氷を越えている。

信濃旅情

 大正12年4月、妻子を伴ひ、信濃小県郡の大屋に義弟山本鼎の経営に成る農民美術研究所の開所式に臨む。旁々(かたがた)七久里の別所、或は追分沓掛等に淹留(えんりう)、碓氷を越えて下る。

製材の響けざむき渓沿(たにぞひ)は夕附き早し材小屋(きごや)が二つ

『海阪(うなざか)

残念ながら2003年8月に「星野温泉ホテル」は閉館したそうだ。

お風呂に入っておけばよかった。

2005年7月、「星のや軽井沢」として営業。

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