三島の町に入れば 小川に菜を洗ふ女のさまもややなまめきて見ゆ |
日も暮れに近づき、入り相の鐘かすかに響き、鳥もねぐらに帰りがけの駄賃馬追ったて、とまりを急ぐ馬子唄のなまけたるは、布袋腹の淋しくなりたる故にやあらん。 このとき、ようやく三島の宿へつくと、両側よりよびたつる女の声々・・・・・・ 女「お泊りなさいませ、お泊りなさいませ」 弥次「エエ、ひっぱるな、ここを放したら泊まるべい」 女「すんなら、サア、お泊り」 弥次「あかんべい」 ・・・・・・喜多「いい加減にせい、此処へ泊まるか」 女「サア、お入りなさいませ、お湯をお召しなさいませ」 弥次「ドレ、お先に参ろう」・・・・・・と、はだかになりてかけ出す。 女「モシ、そこは雪隠(せっちん)ござります。こっちへ・・・・・・」 弥次「ホイ、それは」と湯殿へゆく。 東海道中膝栗毛
享和2年(1802年)初刊 |
宿はづれを清らかな川が流れ、 其処の橋から富士がよく見えた。 沼津の自分の家からだと その前山の愛鷹山が 富士の半ばを隠してゐるが、 三島に来ると愛鷹はずっと左に寄って、 富士のみがおほらかに仰がるるのであった。 克明に晴れた朝空に、 まったく眩しいほどに、その山の雪が輝いてゐた。 |
町中を水量たっぷりの澄んだ小川が それこそ蜘蛛の巣のやうに 縦横無尽に残る隈なく駆けめぐり、 清冽の流水の底には 水藻が青々と生えて居て、 家々の庭先を流れ、縁の下をくぐり、 台所の岸をちゃぶちゃぶ洗ひ流れて、 三島の人は台所に座ったままで 清潔なお洗濯が出来るのでした。 |