・・・好古は爵位ももらわず、しかも陸軍大将で退役したあとは自分の故郷の松山にもどり、私立の北予中学という無名の中学の校長をつとめた。黙々と六年間つとめ、東京の中学校長会議にも欠かさず出席したりした。従二位勲一等功二級陸軍大将というような極官にのぼった人間が田舎の私立中学の校長をつとめるというのは当時としては考えられぬことであった。
司馬遼太郎著『坂の上の雲』(文藝春秋刊)単行本:6巻より |
明治33年(1900年)4月開校の私立愛媛県北予中学校は、温泉郡川上村(現東温市)出身の城哲三が設立した私立北予英学校が前身となっている。その後、さまざまな変遷をたどり昭和24年(1949年)年に現在の愛媛県立松山北高等学校へと統合されていく。 秋山好古は歴代の校長にその名を連ね、彼の教育に対する熱意は子弟の育英へと注がれた。 |