2006年千 葉

成田山公園〜碑巡り〜
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成田山新勝寺から成田山公園へ。

成田山公園には夥しい数の碑があった。

その中に句碑などが点在する。

まず芭蕉の句碑があった。


丈六に陽炎高し石の上

 この句碑は芭蕉追福のために天明8年(1788年)に建立された。句は貞享5年(1688年)旅の途中の新大仏寺で詠まれたものである。

次に高浜虚子の句碑


凄かりし月の団蔵七代目

 この句碑のところには七代目団十郎と六世団蔵の銅像があったが、戦時中供出されたので、昭和18年に八代目団蔵は七代目団蔵の追善供養の為、台座の上にこの句碑を建てた。

台座の上の句碑


鈴木三重吉文学碑


古巣はさびても小鳥はかよふ昔忘れぬ屋根の下

 鈴木三重吉(1882−1936)は、漱石門下の逸材として、「千鳥」、「桑の実」等の名作を発表。童話童謡雑誌『赤い鳥』を創刊主宰して、わが国児童文学興隆に大きな貢献を果たした。

 青年時代、成田中学校英語教師として教鞭を執るかたわら、代表作「小鳥の巣」を書き、作歌としての地歩を固めた。

 この碑は、そのゆかりによる。

鈴木三重吉文学碑を建てる会

会長 長谷川鎌太郎

雄飛の滝


 昭和11年(1936年)9月6日、高浜虚子は武蔵野探勝会で成田山へ。富安風生等同行。

 案内さるゝまゝ裏の公園を一巡した。丘の起伏の自然を利用して人工を加へた広い公園は、相当なものである。滝に下りたり、池のほとりを巡つたり、又小高い台に登つたりするのであるが、そして百日紅もまだ散り残つて居り、秋草も咲いてゐるのであるが、何しろ暑くて苦しくて、疲れ果てゝしまつて、たゞもう早く落ちつくところへ落ちつきたかつた。見ることも歩くことも、もうたくさんであつた。

『武蔵野探勝』(印旛沼から成田へ)

噴水公園の平和大塔


裏から見る平和大塔


   成田道

バス囃す小わつぱどもや独活の花

   成田吟行帰途車中 二句

今日の日の楽しかりける汽車夜長

目つぶりて虫の闇ゆく汽車にあり

『十三夜』

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