この句碑は芭蕉追福のために天明8年(1788年)に建立された。句は貞享5年(1688年)旅の途中の新大仏寺で詠まれたものである。 |
この句碑のところには七代目団十郎と六世団蔵の銅像があったが、戦時中供出されたので、昭和18年に八代目団蔵は七代目団蔵の追善供養の為、台座の上にこの句碑を建てた。 |
鈴木三重吉(1882−1936)は、漱石門下の逸材として、「千鳥」、「桑の実」等の名作を発表。童話童謡雑誌『赤い鳥』を創刊主宰して、わが国児童文学興隆に大きな貢献を果たした。 青年時代、成田中学校英語教師として教鞭を執るかたわら、代表作「小鳥の巣」を書き、作歌としての地歩を固めた。 この碑は、そのゆかりによる。 |
会長 長谷川鎌太郎 |
昭和11年(1936年)9月6日、高浜虚子は武蔵野探勝会で成田山へ。富安風生等同行。 |
案内さるゝまゝ裏の公園を一巡した。丘の起伏の自然を利用して人工を加へた広い公園は、相当なものである。滝に下りたり、池のほとりを巡つたり、又小高い台に登つたりするのであるが、そして百日紅もまだ散り残つて居り、秋草も咲いてゐるのであるが、何しろ暑くて苦しくて、疲れ果てゝしまつて、たゞもう早く落ちつくところへ落ちつきたかつた。見ることも歩くことも、もうたくさんであつた。
『武蔵野探勝』(印旛沼から成田へ) |
成田道 バス囃す小わつぱどもや独活の花 成田吟行帰途車中 二句 今日の日の楽しかりける汽車夜長 目つぶりて虫の闇ゆく汽車にあり
『十三夜』 |