2010年山 梨

武田神社〜太宰治〜

甲府市古府中町に武田神社(HP)がある。


武田神社は躑躅ヶ崎館跡に鎮座。


御祭神は武田信玄公。

 天正元年(1573年)4月12日、武田信玄は上洛の夢半ばに信州駒場で53歳の生涯を終えた。

 安永5年(1775年)、加舎白雄は躑躅が崎の城跡で句を詠んでいる。

先甲氏城蹟

 生にけり蹄にかけぬ春の艸

「甲峡記行」

 天明8年(1788年)3月16日、蝶夢は江戸へ下る途中で躑躅が崎の城跡を訪れている。

 十六日は、教順和尚の案内にて、信玄僧正の古城あたり、墓所は円光寺の前、畑の中に有ぬ。躑躅が崎の城跡、其世のまゝの石垣に面影残り、戦毎に勝給ふなるも、いわゆる善ならざる事も哀深し。


 大正13年(1924年)、大町桂月は武田神社を訪れている。

 右手の山尽きて、武田神社に至る。武田信玄を祀る。大正八年の創立にて、県社に列す。こゝは躑躅ケ岡館の跡にて、信虎、信玄、勝頼三代六十三年間住まひし処也。石垣あれども低く、堀あれども狭し。南北二町に足らず、東西も三町に足らず。天下に雄飛せし信玄の舘としても小也。況して城としてをや。『人は城人は石垣人は堀なさけは味方あだは敵なり』と歌ひて、信玄は別に城らしきものを構へざりき。

「七面山より駒ケ嶽へ」(山は富士、人は信玄)

 昭和14年(1939年)4月11日、太宰治は武田神社へ桜を見に行った。

けさは上天気ゆえ、家内と妹を連れて、武田神社へ、桜を見に行く。 母をも誘ったのであるが、母は、おなかの工合い悪く留守。武田神社は、武田信玄を祭ってあって、毎年、四月十二日に大祭があり、そのころには、ちょうど境内の桜が満開なのである。四月十二日は、信玄が生れた日だとか、死んだ日だとか、家内も妹も仔細らしく説明して呉れるのだが、私には、それが怪しく思われる。サクラの満開の日と、生れた日と、こんなにピッタリ合うなんて、なんだか、怪しい。話がうますぎると思う。神主さんの、からくりではないかとさえ、疑いたくなるのである。

太宰治『春昼』

JR中央本線甲府駅の南口に武田信玄の像がある。


昭和44年(1969年)4月12日、武田神社例大祭日に除幕。

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