ここ大藤の里は、明治の女流文学者として近代文学史上に今もなお燦然と輝く樋口一葉女史の父母のふるさとである。 大正11年、篤志家廣瀬彌七翁らが一葉女史の妹邦子の願いを受けて、明治文壇の名だたる名士の賛助のもと一葉女史両親のゆかりのここ慈雲寺に、私財を投じて一葉女史の文学顕彰碑を建立し、今も多くの文学愛好者に親しまれている。 このたび、一葉女史の肖像が新五千円紙幣に登場したことを機会に、塩山市では一葉女史の志を市民の宝とするために特別顕彰を行い、その遺徳を讃えた。「樋口一葉・心のふるさと塩山市」市民一人ひとりは、心の奥にこの言葉を温め地域の誇りとして抱いている。 いま、ここに一葉女史の見ることのなかった父母のふるさとへの愛着と思慕の念を秘めた作品『ゆく雲』の一節を碑文に刻み、一葉女史と郷党の人々との心の結びつきをいっそう深めるために記念碑を建立した。 平成17年10月29日
樋口一葉女史記念碑建設委員会 塩 山 市 |
平成17年(2005年)11月1日、塩山市は勝沼町・大和村と合併して甲州市となった。 |
我が養家は大藤村の中萩原とて、見わたす限りは天目山、大菩薩峠の山々峯々垣をつくりて、西南にそびゆる白妙の富士の嶺は、をしみて面かげを示めさねども、冬の雪おろしは遠慮なく身をきる寒さ、 |
碑陰に建立賛助者として、田山花袋、森鴎外、与謝野晶子など名前が刻まれていたそうだ。 |