2023年〜山 口〜
山口サビエル記念聖堂〜フランシスコ・ザビエル〜
天文18年(1549年)、ザビエルは日本に上陸。 天文19年(1550年)11月、山口に到着。 天文20年(1551年)4月、大内義隆に謁見。 天文20年(1551年)9月、大友宗麟の招きに豊後へ赴いた。 |
昭和27年(1952年)、フランシスコ・ザビエルの来日400年記念として建てられた。 平成3年(1991年)9月5日、失火により全焼。 平成10年(1998年)4月29日、再建。 |
ザビエルは修道士ジョアン・フェルナンデスと毎日二回、山口の大殿小路という通りに出かけそこにあった井戸端で、集まってくる人々に向かい、要理の書を読んだり、説明したりして布教した。あらゆる階層の人々が集まって来たが、その数は大変なものであった。 宿舎に帰ってくると、仕事は倍加した。というのは、ある人は今聞いたことについて疑問をいだき、ある人は問答をしようと考え、またある人は面白半分にあるいは真理を知るために彼について来たからである。それにもかかわらず、わずかしか成果があがらないのを見てザビエルはこのことがいくらか心配になった。しかしまもなく主はまったく思いがけない時に彼の心を慰め給うた。すなわち、フェルナンデスがいつものようにある通りでたくさんの群集に向かって説教をしていると、一人の無礼な男が通りかかり修道士を罵倒しはじめた。そして彼のそばに寄って顔に唾を吐きかけ、高笑いとあざけりの言葉を浴びせながら立ち去った。フェルナンデスは動揺したり、怒ったりした様子を少しも見せず、またそのことに対して一言も言わないで、その痰をあたかも説教して流れた汗ででもあるかのように手拭でふき取った。そして始めた時と同じ冷静さで説教を続けた。聴衆の中に、身分のある一人の日本人がいた。彼は説教で聞くことを誹謗しようと思って来たが、修道士が挑発や罵言を少しも気にとめず、自分の体面などまったく気にかけない事に驚嘆した。そして修道士が崇め説いている神こそまことの神であり、その神こそ信じ尊ぶべき神であること、また修道士の説き教えている宗教を信奉しなければならないことを理解したのである。 |
心を騒がせるな。 神を信じなさい。
ヨハネ福音書 14章一節 |
大内義隆の庇護のもとに山口においてキリスト教の布教に当っていたフランシスコ・ザビエルは1551年後事を弟子のトルレスらに託して九州に渡った。その後や山口では陶晴賢の乱が起り義隆は討死した。晴賢は大内氏の後つぎとして九州の大友義鎮の弟、義長を迎えて大内氏をつがした。義長は九州でザビエルに会っていたので1552年山口に来ると早々トルレスに教会建立許可の裁許状を与えた。これにより山口に日本最初のキリスト教会が建立されたのであった。 その裁許状は当時写してヨーロッパに送られたが、それが1574年のケルン版ラテン語「東洋イエズス会書簡集」に掲載されている。 この碑はその本から複製したものである。 |