2005年栃 木

布 滝〜与謝野晶子歌碑〜
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福渡温泉から竜化の滝入口へ。


途中の紅葉


箒川の紅葉


布滝が見える。


 国道の向う側を流れる箒川にかかる滝は白布をさらしているように見えるので、布滝と言います。川底にかたい岩とやわらかい岩があったため、次第に段差ができ、滝ができたものです。

 昭和9年(1934年)5月12日、与謝野鉄幹、晶子夫妻は塩原満寿家へ「おしどり旅行」。

滝の路かたぶく岩も柴橋も「ぶな」も欅もしづくするかな

岩山の岩の裂けたる大襞を二十五丈滝もて塞ぐ

滝を見る傍へに黒し壁のごと切り立ちながら空に入る山

滝のもと貝の化石と霊芝とを我れに得せしむ山小屋の人


毛欅(ぶな)おほき山のみどりの襞に入り逢ふ鹽原の第一の瀧

龍化瀧二十五丈を若葉する毛欅のかこめりうへは岩山

ことごとく毛欅の若葉の蔭にしえなほ金色に光る溪かな

中段は龍頭をなせり山の瀧上に懸くるはしろがねの琴

「いぬあじさゐ」

与謝野晶子の歌碑があった。


龍化瀑二十五丈を若葉する毛欅のかこめりうへは岩山

与謝野晶子(1878〜1942)

 与謝野晶子は、大阪府堺市の老舗の菓子商駿河屋に生まれました。少女時代は家業を手伝うかたわら、独学で古典を学び文学を好みました。明治33年東京新詩社の創設とともに入会し、そこで知り合った与謝野鉄幹と熱烈な恋に落ち、結婚ののちもその深い愛情は終生続きました。

 代表的作品には歌集「みだれ髪」「舞姫」「春泥集」などがあり、その情熱と優れた感性によって、近代日本の女流歌壇に大きな足跡を残しました。また、日露戦争に出兵する弟を想う詩「君死にたまふこと勿れ」は、この時代には珍しい大胆な発言で、大きな社会的論争を起こしています。晶子は詩歌の世界のみならず、古典研究、女子教育、婦人運動等にも活躍し、大きな功績を残しています。

 与謝野鉄幹、晶子夫妻は昭和9年5月に塩原温泉の地を訪れ、その折にこの「竜化の滝」に遊んでいます。

塩原温泉観光協会

竜化の滝へ。

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