徳川家康による江戸城築城の頃は、この場所の近くにまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることができたことから「汐見坂」の名が付いたといわれています。 この坂は、本丸と二の丸をつないていたのもで、坂上には、汐見坂門が設けられていました。 |
諏訪の茶屋は、元々、明治45年(1912年)に皇居内の吹上地区に建てられたものです。その場所に、江戸時代に諏訪社があったことから、諏訪の茶屋という名前が付いています。 昭和43年(1968年)に現在の場所に移築されました。 |
江戸時代、二の丸には小堀遠州が造り、三代将軍徳川家光の命で改修されたと伝えられる庭園がありましたが、長い年月の間にたびたび火災で焼失し、明治以降は荒廃していました。現在の回遊式の庭園は、昭和39年(1964年)に、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園を基にして造られたものです。 |