養福寺は真言宗豊山派の寺院で、補陀落山観音院と号し、湯島円満寺の木食義高(享保3年没)によって中興されたという。
江戸時代、多くの文人たちが江戸の名所である「日暮里(ひぐらしのさと)」を訪れ、その足跡を残した。なかでも養福寺は「梅翁花樽碑」「雪の碑」「月の碑」などからなる『談林派歴代の句碑(区指定文化財)』や、江戸時代の四大詩人の一人、柏木如亭を偲んで建てられた『柏木如亭の碑』、畸人で知られた自堕落先生こと山崎北華が自ら建てた「自堕落先生の墓」などさまざまな文人の碑が残る寺として知られている。
荒川区教育委員会 |
養福寺仁王門

宝永5年(1708年)、建立。
荒川区指定文化財である。
「自堕落先生の墓」

元文3年(1738年)3月22日、山崎北華は江戸を立ち『奥の細道』の足跡をたどる。松島を訪れ、夢で象潟に遊び、芭蕉に会う。
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そゞろ神の。物につきて心を狂はせ。道祖神の招に逢て。取る物手につかず。股曳の破を綴り。笠の緒つけかへて。三里に灸するより。松島の月先心に懸りしと。翁の書き給ひけるぞ誠にて。我にもそゞろ神のつき。道祖神の招き給ふにや。日頃年比。松島心に懸りしに。漸く暇求めて。今年。元文三の年。彌生末の二日。笈背負ひ。草鞋しめて。白河の關越むと志す。今日は殊更日和も麗かなり。
燕に今日往來をば習ひけり
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天明元年(1781年)、太田南畝は養福寺を訪れ「自堕落先生の墓」を見ている。
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