2023年埼 玉

6基の彫刻〜星川彫刻プロムナード〜
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熊谷市の星川沿いに6基の彫刻があるというので、訪ねてみた。

熊谷市筑波3丁目にふれあい広場がある。

ふれあい広場に「ふれあい」の像があった。


菊池一雄作。

昭和60年(1985年)4月5日、設置。

昭和60年(1985年)4月30日、菊池一雄死去。

 少女が両手を後髪に当て、軽やかに足を宙にうかせる姿は、静かで明るいやすらぎとふれあいの心がいつしか感じられます。

 それは、作品が自然なポーズで、内に深い味わいがこめられ、少女の優しさとみずみずしさによるもので、心にうるおいを与えてくれる秀品です。

星川広場に「花園の歌」の像があった。


園鍔勝三作。

昭和58年(1983年)4月5日、設置。

 三人の女性が歌いかなでるこの作品は、明るくのびやかで、軽快なうちに叙情とロマンが親しみと共感をもってうけとられます。

 既成なものにこだわらない自由で柔軟な発想でありながら、とくに見る人の心をうつのは 日本人の心が満ちており、作者の内なる人格が感じられます。

少し斜めから撮ってみた。


熊谷市星川2丁目にみどりの広場がある。

みどりの広場に「やすらぎ」の像があった。


千野(ちの)茂作。

昭和56年(1981年)11月4日、千野茂没。

昭和57年(1982年)3月27日、設置。

 この像は、見るからにおだやかで気品があり、静かなよそおいの中にくめどもつきない美しさが感じられます。

 少しも力まない自然さが内から静かに無限の力となって発散され、いつしかその情感のとりことなり、作者の円熟した着実な人柄がにじみ出ています。

知らなかった。

熊谷市役所へ。

昭和51年(1976年)、第50回日本国際美術展に「レダ」出品。

昭和54年(1979年)、「レダ」により第10回中原悌二郎賞受賞。

昭和56年(1981年)11月4日、桜井祐一死去。享年67。

熊谷市星川1丁目に太陽の広場がある。

太陽の広場に「レダ」の像があった。


桜井祐一作。

 この等身大のブロンズ像は、抑制のきいたゆるやかな動きのなかに、まろやかな女性美を象徴的に捉え、しかも豊かな生命観があり、見ていると溢れる健康美と生命力とが一体となって満ち溢れています。

 この作品は、中原悌二郎賞に輝やく高度な芸術作品です。

昭和57年(1982年)3月27日、設置。

神戸市の富士銀行ビル前にも「レダ」の像がある。

熊谷市星川1丁目に若者広場がある。

若者広場に「新風」の像があった。


富永直樹作。

昭和47年(1972年)、日本芸術院賞受賞。

昭和59年(1984年)3月、設置。

 このブロンズ像は、高さ2m10cmあまりの大作で、生気あふれる若者のかざす布は、まさに新風をはらみ、見上げるひとみは希望に輝いています。

 静と動が一体となって調和し、素直な美しさの中に、若きロマンが刻みこまれています。。この作品は、日本芸術院賞を受賞した代表作です。

いこいの広場に「戦災者慰霊の女神」の像があった。


北村西望作。

昭和50年(1975年)8月16日、設置。

 終戦前夜の大空襲で熊谷市は、焦土と化し、多くの尊い命も失われました。

 昭和50年、戦災30周年に完成したこの等身大の像は、高純度アルミニウムで造られていて、静かな銀色は慈愛に満ち、戦災の悲しみを再び繰り返してはならないとの祈りがこめられています。

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