2022年埼 玉

文珠寺〜星野丑三の歌碑〜
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天気が好いので、久し振りにさいたま市緑区の文珠寺へ。

大智山文殊寺


 文殊寺は、天台宗の寺院で大智山覚母院といい、古くは氷川女体神社の境内にあって、同社々領50石のうち6石4斗を配受され、住職は別当職(僧職の他に神職をも兼ねること)を勤めていた。

 寺伝によると、30坪の本堂と文殊堂があり、大般若経(玄奨三蔵訳の経典で六百巻)を収蔵し、毎年正月8日、天下泰平・五穀豊穣の転読会(てんどくえ)が催されていたという。

 明治初年、神仏混淆禁止令により、同村の薬王寺(喜見山長樹院)と合寺して、現在地に移った。本尊の文殊菩薩は、学問上達の仏様として広い信仰を集めている。

 また、本堂の欄間に掲げられている三面の大絵馬は、市指定有形文化財になっている。

埼玉県

星野丑三の歌碑があった。


    追ふがごとく
  追はるゝごときわれの生に
みどりあふるゝ
    今日の日に遭ふ

 昭和61年(1986年)10月10日、星野丑三の喜寿を記念して香蘭短歌会・大智山文珠寺が建立。

星野丑三氏略歴

氏は明治42年10月10日埼玉県浦和市大字2119番地に生れ、地元三室小学校、旧制浦和中学校を経て、東洋大学に学ぶ。昭和4年香蘭短歌会に入会し、北原白秋の高弟村野次郎に師事す。昭和54年師の歿後、香蘭短歌会の代表となる。現在日本短歌□□理事長、日本歌人クラブ中央幹事。著書に歌集「九曜」「緑陰集」「風土」「日常」「今生」あり。また地元大智山文殊寺筆頭総代として茲に50年その間寺運の興隆を計り、当山本堂及び山門再建に率先尽力す。

文珠寺本堂


大般若堂と号す。(社地より壱丁程西南の方に在り。)社宝大般若経一部(持統天皇勅して納め賜ふ所といふ。昔時(むかし)関東兵乱屡々なりしかば、管領国主より当社において、河越仙波中院の住侶等をして、大般若経を転読せしめられしことあり。経巻の末にその頃の行者の名を註(しる)す。今に至りて毎年正月八日天下泰平の御祈祷として、文珠寺に於て般若経修行することあり。)


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