2015年大 分

春日神社〜秋風塚〜
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大分市勢家町に春日神社(HP)がある。


春日神社


春日神社略記

祭 神
 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
 経津主命(ふつぬしのみこと)
 天津児屋根命(あまつこやねのみこと)
 姫大神(ひめおおかみ)

 由緒 天平年中市川某が南都三笠山より勧請し奉ったとも又清和天皇の御宇貞観2年三月国司藤原朝臣世數が勅を奉じて奈良の春日大社の四所大神を勧請したとも伝えられ、1千1、2百年余の歴史を有する古社である。建久7年大友能直が当国に封ぜられてより、二十二代358年間居城府内の総廟として厚く崇敬し特に二代親秀は社領80貫を奉献する等歴代の守護職、藩主等は年々の祭祀料は申すまでもなくしばしば社領を奉り又社殿の修復を行ってきた。因に大友親秀の奉献した社領菖蕪田、忌垣田、相撲田は今尚小字名などとなって語り伝えられている。慶長12年藩主竹中重利は江戸参勤の帰途播磨灘に於て暴風雨のため危機にさらされたが遙かに春日宮に祈請して無事に帰還し得たので境内に松10万本を植えて奉賽した当時の広大なりし境域を偲ぶことができる。

 当社は創祀以来2度の戦災のために社殿はことごとく炎上し又貴重なる社宝、記録等をも亡失した。第1回は天正12年島津軍の府内入城の際であり、次は昭和20年7月大東亜戦争の末期アメリカ空軍の焼夷爆撃によるものである。

 現社殿は氏子崇敬者の浄財、寄付金等を以って再建し、昭和42年10月18日、遷座祭を斎行した。

 尚当社は旧県社であったが昭和43年7月1日、別表神社に昇格した。

社殿の右手に「秋風塚」があった。


物言へば唇寒し秋の風

出典は『芭蕉庵小文庫』(史邦編)。

『蕉翁句集』(土芳編)は「元禄四未ノとし」とする。

碑面に3句が刻まれているというが、読めない。

歸れとのおしへを花の□かな
   白寿坊

あらたふと露の白地の碑の光
   風盧坊

仰く畏や身にしみしみと露の朝
   友起坊

碧竹菴建立。白寿坊書。

野村白寿坊は幕府の御家人。美濃派(以哉派)七世道統。

文化14年(1817年)6月16日、79歳で没。

天保元年(1830年)の建立というが、いかがなものであろうか。

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