昔の温泉
瀬見温泉「エビス屋旅館」
陸羽東線瀬見温泉のところで左折して最上川の支流小国川を越えると、瀬見温泉の温泉街がある。 |
つげ義春は昭和44年8月に瀬見温泉を訪れたようだ。『つげ義春の温泉』に瀬見温泉「喜至楼」の写真が載っている。 |
たまたまそこにいたおじさんに「お風呂に入れますか?」と聞くと、まだお湯が溜まっていないということだった。 |
近くの酒屋さんで「お風呂に入れる宿はありますか?」と聞くと、「エビス屋旅館」を紹介してくれた。 |
泉質はナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩温泉。旧泉質名は含石膏−食塩泉。泉温は67.2℃。 |
弁慶が亀若丸の誕生を祝って、「再び義経公の世になって栄えるように。」と、峠の頂上から投げた松が、ここに根付いたものだとそうだ。 |
文治(ぶんじ)3年(1187年)春、兄頼朝の追討を逃れ、奥州平泉に落ちのびる義経主従13名は、亀割山中で一夜を過ごした。
ところが予てより身重の北の方が急に産気づき、亀割山の子安観音で亀若丸を出産した。その若君の産湯を求め、弁慶が沢を下り瀬を渡って、紫雲立ち昇る川辺に辿り着き、大岩を薙刀で突き破るとふつふつと熱い湯が噴き出したという。若君の産湯としたこの湯こそが、瀬見温泉の開湯と今に伝えられている。数日この地で滞在し、北の方の回復を待って、一行は再び平泉へ向かったのだという。 |