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元禄2年5月17日(陽暦7月3日)、芭蕉は尾花沢の鈴木清風を訪ねた。翌日清風のはからいで養泉寺に移る。芭蕉は尾花沢に10泊したが、そのうち7泊は養泉寺で過ごした。 |
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十八日 昼、寺ニテ風呂有。小雨ス。ソレヨリ養泉寺移リ居。
『曽良随行日記』 |

| 昭和33年(1958年)7月、加藤楸邨は養泉寺で句碑を見ている。 |
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芭蕉は山刀伐峠をくだって尾花沢に入り、紅花問屋鈴木清風の家や養泉寺に身を休めた。私どももまず養泉寺でくつろいだが、実によく風の通る々である。 涼しさを我宿にしてねまる也 と詠んだ気持がよくわかる。この句碑は宝暦年間の建立だが、おもしろいのは古い台石で、これは何を転用したものであろう。仏の台座に似てちがうようだし、石臼に似てそうでもない。私の知っている芭蕉句碑の台石では最も好きな一つである。 |
| 昭和40年(1965年)、山口誓子は養泉寺に句碑を訪ねている。 |
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句碑は本堂の手前右手、上屋の中にある。ひょろっとした自然石。 涼しさを我か宿にしてねまる也 芭蕉は、尾花沢に来て、清風の家に泊ったり、養泉寺に泊ったりした。この句は清風の家で出来た。 涼しい。その涼しさをこの家で満喫して、くつろいでいる、と云うのだ。「ねまる」は方言。主として東北地方に分布する方言だ。 句碑には、句のつづきに漢文を刻んでいる。その最後に「不朽ヲ謀リ、石ヲ立テ涼塚ト曰フ」とある。「不朽ヲ謀リ」とは、芭蕉の俳句の不朽を謀ったのだ。 建立は宝暦十二年。
『句碑をたずねて』(奥の細道) |
| 昭和48年(1973年)8月、加藤楸邨は養泉寺で句碑を見る。 |
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養泉寺にでかける。本通りをつきあたって右に折れると中学校がある。それから左折して間もなく右側に藁葺の御堂があって、これが芭蕉の泊った養泉寺のあと、その右手に 涼しさを我宿にしてねまる也 という句碑がある。これは芭蕉滞在中その身辺の世話をした素英の門人達が建てたものである。 |

| すずしさを我がやどにしてねまる也 | 芭蕉 |
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| つねのかやりに草の葉を燒 | 清風 |
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| 鹿子立つをのへの清水田にかけて | 曾良 |
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| ゆふづきまるし二の丸の跡 | 素英 |
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楸邨書 |
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歌仙は須賀川の相楽家に伝来したもの。石井雨考が見つけ、幽嘯が書き写して『繋橋』(幽嘯編)に収録。 |
