2004年新 潟

文学の砂山〜砂山の碑〜
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寄居浜と護国神社の参道の間に文学の砂山がある。


多くの文学碑の中に北原白秋の砂山の碑があった。

砂山の碑


海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめなけなけ もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ

暮れりゃ砂山 汐鳴りばかり
すずめちりぢり 又風荒れる
みんなちりぢり もう誰も見えぬ

かえろかえろよ ぐみ原わけて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした

碑は、すべてひらがなで書いてある。

碑の傍に説明が書いてあった。

砂山の碑

 北原白秋は、明治末期から大正・昭和初期にかけて詩・短歌などで活躍した文学者で、代表作として詩集「邪宗門」、「思ひ出」、歌集「桐の花」などがあります。

 明治18年、水郷として知られる福岡県柳川市で生まれ育った白秋は、中学時代より短歌・詩を雑誌に投稿、上京して早稲田大学英文科予科入学・中退を経て、文芸活動を行っていきます。

 この「砂山」は、白秋が創作童謡に力を入れていた頃、新潟の砂浜をうたったもので、白秋の代表的な童謡となっています。

 大正11年に新潟市での童謡音楽会に招待された白秋は、子どもたちの歓迎を受けたのち夕刻、寄居浜に足をのばしたと言います。

 北原白秋が童謡音楽会に招かれて新潟を訪れたのは、大正11年6月中頃。白秋は10月にも新潟師範学校で講演を行っているそうだ。

 暮れかかる日本海、砂浜、松原という新潟海岸の情景は、九州に生まれ育った白秋に大きな感銘を与え、小田原に帰ったのちこれを詩にして新潟の子どもたちに贈ったものが「砂山」の詩であると言われています。中山晋平と山田耕作が、この詩にそれぞれ曲をつけ、今では誰もが知っている童謡となっています。

 また白秋は、ハラショのロンロンの名調子で唄われている新潟小唄の作詩を行うなどの業績を新潟に残しています。

新潟市・新潟市観光協会

新潟小唄は知らない。

坂口安吾の文学碑もあった。


ふるさとは語ることなし

昭和55年(1981年)9月27日、金子兜太は坂口安吾の文学碑を見ている。

 新潟一日目。駅に諸氏出迎えてくれ、小休して会津八一記念館へ。八一の書、稚拙自由のよろしさ。そのあと砂丘をゆき、坂口安吾碑「ふるさとは語ることなし」を見る。

『金子兜太戦後俳句日記』

文学の砂山の護国神社参道入口付近には芭蕉堂がある。

2004年新 潟