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土佐藩の貿易関係の役所で、開成館貨殖局と呼ばれ、その長崎出張所は、慶応3年(1867年)2月頃、西浜町(現在の浜町)に開設された。最初は、後藤象二郎が、後には岩崎彌太郎が主任となり、辣腕を振るった。同出張所の目的は、大砲や弾薬、さらには艦船等を調達することであったが、そのための資金は、土佐の樟脳や鰹節などを売却、捻出した。また、坂本龍馬率いる海援隊には、隊員それぞれに月々金5両を支給するなど、その運用資金なども調達した。このように、海援隊は土佐藩の保護のもとにあったので、海援隊旗は土佐藩旗と同様に、「赤白赤」の二曳(にびき)と呼ばれるものであった。明治2年(1869年)正月、彌太郎は大阪商会(旧開成館大阪出張所)に転出。以後、大阪で活躍したが、長崎での経験が以後の九十九商会、三菱商会(現在の三菱グループ)へと発展する大きな原動力となった。
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1863年にイギリスで建造された鉄製の蒸気船(およそ600t)で、「Shooeyleen」(朱林)と呼ばれていたが、慶応3年(1867年)イギリス商人オルトから購入した土佐藩は「夕顔」と命名して運用した。夕顔丸というのは通称である。同年6月、この船で長崎から上方へ向かった坂本龍馬は、航行中、後藤象二郎や海援隊士とともに、今後の日本の方針を示す「船中八策」を考案したとされ、こうした意味でも幕末維新史の重要な舞台となった。 このモニュメントは、夢と志の帆を揚げ、長崎港を出港する夕顔丸の姿を表現している。この作品が多くの方々に、いかなる逆境においても志を持って臨む勇気を与え、龍馬とともに、この長崎の地で末永く愛される作品となることを願う。
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